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カメちゃんのお出かけ帳

チームマイナス6パーセント

かめちゃんのBlog

2006年10月24日

オヒョイさん生活(?)

2006-10-24.gif 先週の土曜日。ながらでテレビをつけていたら、いつのまにか夢中になって観てしまった番組がある。テレビ東京の特番「オヒョイさんのイタリアで金魚すくい」という旅もので、オヒョイさん(藤村俊二)がのんびりイタリアの都市をめぐり、イタリア人のスローライフを紹介するといった番組。まあ、メインイベントは、最後に行き着いたヴェニスのサンマルコ広場で、金魚すくいをするという(なんのこっちゃ?)なのだが。

 途中から観たのだが、チーズ工房→生ハム工房→ワイン工房……(あとはまあ、どうでもいい)。そのチーズに生ハムにワインが、ものすごーく時間をかけて、ものすごーく熟成させて、ものすごーーく、おいしそう!! だったのである。

「食べた~い! いますぐ食べた~い!」
 旅番組や料理番組は数あれど、テレビを観てこれほど「食べた~い」という衝動にかられたのは久しぶりである。で、この番組のホームページに行ってみると、紹介していたチーズに生ハムにワイン(ほかにもあるけど、どうでもいい)がなんと買える! すごい! ……ってまあ、いまどきのテレビ番組はCM化しているからあたりまえか。

 が、ここで注文しても、届くのは数日後。それだと「食べた~い! いますぐ食べた~い!」という欲求は満たされないし、数日も経てばそんな気分も消え、商品が届く頃には「なんでこんなの買ったかなぁ」と後悔するのが関の山。
 ってことで、その日はまあ、がまんして、翌日の日曜日。用事で出かけた帰りに、デパートにより、イタリア産のチーズ、生ハム、ワインをGET(番組で紹介したものより、ランクはガクンと落ちるが)。で、その日の夜は「気分だけオヒョイさん」を楽しんだ。

 それにしても……「欲しい!」と思った商品がすぐに手に入る国というのは、やっぱりありがたい国なんだろうなぁとつくづく。土曜の夜、以前録画しておいたNスペ『ローマ帝国』を3本続けて観たのだが、2000年前のローマでも、市民たちは、チーズに生ハムにワインをたらふく食べて「オヒョイさん生活(?)」をしていたんだろうなぁ……などと考えてしまう。

 ちなみにチーズも生ハムもワインもヨーロッパが起源ではないらしい。ちらっと調べた限りでは、チーズは西アジア(騎馬民族)、生ハムは東アジア(中国)、ワインはメソポタミア(シュメール人)……ではないかと。しかもすべてBC4000年とか7000年とか、まあ、大昔である。

 大昔から変わらず食されているチーズに生ハムにワイン。たぶん2000年後の世界がいまよりぐっちゃぐっちゃになっていたとしても、チーズと生ハムとワインを食べて「オヒョイさん生活」をしている人々はいるんだろうな……。

投稿者 かめちゃん : 12:16 PM | コメント (0)

2006年07月25日

Nスペ『ワーキング・プア』その1

2006-07-25.gif はたらけど はたらけど なお わがくらし 楽にならざり ぢっと手を見る

 一昨日のNHKスペシャルを観ていたら、石川啄木のこの歌が繰り返し頭の中で流れた。「ワーキングプア」――働いているのに豊かになれない……現代日本で起きている格差の現状をレポートしたドキュメンタリーだった。
 一億総中産階級社会は崩れ、その中産階級からボロボロとこぼれ落ちていく人々が増加しているという。定職に就けず(あるいは、自営の仕事がままならず)一日生きることがやっとの生活――いままでまじめに働いてきた、あるいはまじめに働こうとしている人々に起きている悲劇である。

 30代でホームレス――長く仕事を続けたいのに、家がなければ仕事もみつからない。ハローワークで仕事を紹介されても、電車賃すら払えず面接にいけない(電車賃ぐらい貸してあげればいいのに>ハローワークの人)。

 過疎化した農家――本職では年収30万円にもならず、父は出稼ぎ、長女、長男は別の仕事で家計をささえつつも、生活は苦しく赤字続き。村人たちのほとんどは、税金すら払えない生活に追い込まれ、つぎつぎに村を捨て去っていく。

 田舎の仕立て屋さん――注文はほとんどなく、食費をきりつめながら、妻の介護費用(1ヶ月7万円程度だったかな?)を支払っている。値上がりした介護保険料は払えず、役場と交渉……。

「貧乏人は死ねってことですよ」
 仕立て屋さんのそんなつぶやきが痛々しかった。

 ウチはまだ、中産階級にぶら下がっている。が、突然のリストラ、突然の病が降りかかれば、いまの生活はたちまち崩れ去るだろう。そのときに、安心して再スタートがきれるかどうか……。「じんせい~いろいろ~」とどこかの首相のように能天気に歌いながら、毎日、朝から晩まで低賃金の単純労働に明け暮れ、今日食べることだけを考えて生きていく……そんな生活ができるだろうか。

 どんよりと くもれる空を見てゐしに 人を殺したくなりにけるかな

 これも、啄木くんの歌である。生活に疲れ果てたら、そんな気分になるのもわかる。が、ちなみに彼って「(友人に金を)借りれど、借りれど、(遊廓で)遊んじゃって金がない」……だったってほんと? 肺の病を抱えながら病気の両親と家族を養う苦労はわかるが、もしそうなら、歌のイメージがくるっちゃうんですけど~!
 って話はさておき、昨日のNスペ……。

 さて……なんでこんな国になったかな。「格差が生まれるのは悪いことではない」と、「じんせい~いろいろ~」と歌っていた同じ人の口から出ていた。生活に窮する人々がでるのは承知の上の構造改革ってことだろう。冷たいなぁ……こっちは健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(憲法第二十五条)があるんだぞ~……と、いったところで「世界的に見れば、まだまだ文化的でしょう」といわれてはい、おしまい! だろう。日本の文化水準は、マズローの5段階欲求(下から、1.生理的欲求→2.安全の欲求→3.親和(集団帰属)の欲求→4.自我の欲求→5.自己実現の欲求)の最低レベルの生理的欲求が満たされればいいという程度でいいのだろうか(いや、それすら、満たせない人がいるわけだが)。
 そんなの絶対ダメ。やっぱり文化的最低限度は、3レベル。「衣食足りて礼節を知る」なわけだから、衣・食・住・生命の安全に不安を感じない=文化的なのだ。

 じゃあ、どうすればいいのか……って、う~ん……ま、今日はここまで(逃げっ!)。

投稿者 かめちゃん : 11:08 AM | コメント (0)

2006年06月05日

Nスペ『好きなものだけ食べたい』

2006-06-05.gif 昨夜のNスペ、観ました? 観ました? 観ました? 秋田の殺人事件よりも、村上ファンド報道よりも怒り爆発、思わずテレビの中に入り込み、映像に映っている人物を張り倒したい気分にかられた。
 その人物……ごく普通の一般家庭の家族である。おじいちゃん、おかあさん、こども……。いや、この家庭がごく普通とは思いたくはないが、どうやらここのようなケースが増えているのは確からしい。

 昨夜のNスペ『好きなものだけ食べたい~小さな食卓の大きな変化~』は、子どものいる家庭の食卓の現状を取材し、その問題点と解決策を提示するものだった。その現状がすさまじい。朝からラーメン、ロールケーキ、チョコバナナ、スナック菓子、炭酸飲料……添加物ばかりである。で、嫌いなもの(主に野菜)は食べないので平気で残す。それは給食でも同じで、その残飯の量がもの凄い。食糧難であえぐ国からすれば、これまた怒り爆発だろう。

 映像に映っていた家庭は、親と子どもで別々の食事を摂っていた。いや、一応、子どもにも同じ皿を用意するのだが(魚とか、野菜とか)、まったく手をつけないために、子どもには肉加工品系の冷凍食品を用意する。生産地も部位も不明な肉に、添加物バリバリのソース。添加物は自然原料のものよりもうまみを出せるため、よりおいしく感じられるもの。そんな人工的な味に慣れてしまうと、自然の味は物足りないし、子どもならまずく感じてしまうという(『Videonews.com』第262回 2006.4.7「それでもあなたは食べますか」ゲスト:添加物アドバイザー・安部司氏 を観ればよくわかる)。

 が、その子は、添加物でおいしく調理された冷凍食品であっても、中に野菜が入っていると、野菜だけをきれいによけて、肉だけを食べるのだ。その親の思考は「野菜嫌いは子どものうちだけ→そのうち食べるようになる。いまは成長期だから食べてもらうことが先決→食べたいものだけを食べさせる」というものだ。
 
 これがBSEにセンシティブな国民とは思えない。日本は食に対してうるさい国? いったいどこが? まったく、メディアや国が「恐ろしい病気の危険」を叫ばない限り、注意を払わないのだろうか。
 こんな偏った食事を長年摂っていたら、将来、身体が悲鳴をあげること請け合いである。いや、それだけでなく、次の世代の身体にまで影響が出てしまうともいう。
 いや、いや、いや、いや、将来や次世代どころではない。番組によれば、ここ数年、子どもの成人病が増えているというのだ(そういえば、もはや成人だけではないから、生活習慣病というようになったのだろうか?)

 ある程度の大人(若者)であれば、自業自得といえるだろうが、小学生の子どもに自業自得といえば、それは教育の放棄と同じ、大人の責任転嫁である。ってことで、番組では「食育」(食事に対する教育)というカリキュラムを実験的に導入している学校や、給食の野菜を自分たちの手で育て、野菜嫌いをなくした学校など、「食」に対する意識を変える試みが紹介されていた。とはいえ、いくら学校で教育しても、家庭が、親が食に対して「無知!」であれば、どうにもならない。

 それとも、この食卓の現象も、二分化しているのだろうか。食に対し気を遣う家庭と気を遣わない(あるいは遣っていられない)家庭。でなければ、かたや、これだけ産地や農法にこだわった食品がでまわることもあるまいに。

「食」といえば、もうひとつ。
 以前かかわっていた仕事(あるTV番組のWEB製作ね)で、某アウトドア系タレントが子どもたちとキャンプにでかけ、生きた魚を料理するという場面があった。子どもたちは「魚がかわいそう」とナイフを握ることができない。そのタレントは「食べるということは他の生命を奪うということであり、それができなければ食べる資格はない」というような内容のことを言っていた。かなり厳しいと思ったが、事実である。肉ばかりを好んで食べる子どもは、その肉が昔、生きていた動物だということをきちんと意識しているのだろうか。

「食育」とはきっと、健康についてだけでなく「生きるってなに?」ってことも教えるのだろう(たぶん)。「いただきます」という言葉は食卓に並んだ「生命」への感謝の言葉。家族そろって声に出して言う習慣は消えたとしても(すでに我が家では消えていた)、「食」への感謝の気持ちは忘れてはなるまい。

 ちなみに、観ていて張り倒したくなった「好きなものしか食べさせない」家庭では、料理を手伝わせることで、子どもが(自作の)野菜入りコロッケを食べることに成功していた。自分が「食」の現場に関わることで、食物や料理に対する愛着がわくらしい。食物アレルギーやトラウマは別として、本当に嫌いで食べられない食材というものは、子どもも大人も、ないのかも知れない。

投稿者 かめちゃん : 12:37 PM | コメント (0)

2006年02月19日

TV鑑賞『サイエンスミステリー』

2006-02-19.gif  昨晩はめずらしく観たいテレビが重なった。Nスペ『気候大異変』とフジTV『サイエンスミステリー』。結局Nスペを録画して、『サイエンスミステリー』を観た。
 この番組はシリーズもので、今回は第4弾。遺伝子が原因とされる肉体的or精神的に特異な症状を持つ人々をレポートする番組だ。なかでも、遺伝性早老症の少女のレポートは、シリーズを通して追跡しているものである。現在、彼女は14歳だが、肉体年齢は100歳にもなるそうだ。早老症とは、一般の何倍もの速さで老化が進んでしまう遺伝病。彼女はなかでも、世界に30人程度という非常に稀なプロジェリア症候群のひとりだ。

 早老症については、この番組で初めて知った。ほかにもハッチンソン・ギルフォード症侯群、コケイン症候群、ウェルナー症候群などがあり、どれも非常に稀な疾患である。とはいえ、成人発症型(10~40歳に発症)のウェルナー症候群は、日本人に多い(4分の3が日本人)もので、非常に稀とはいえ、日本人に潜む遺伝子(?)ということになる(『生命はどのようにして死を獲得したか』共立出版参照)。

「老」と「死」は、誰もが関心を持つテーマだ。掲示板などを覗くと、この番組のほかのレポートに比べ、彼女のレポートへの反響は大きい。加えて、彼女の聡明さが心を打つのだろう。命の期限を宣告されれば、誰もが「なぜ自分だけが」と恨みつらみを他人にぶつけずにはいられない。そして一秒でも長く生きようと懸命に治療法を探すに違いない。
 が、彼女は自らの運命を受け入れている。そして「人生は不満を言うほど悪いものじゃない」と同じ症状を抱える人々にメッセージを送っている。そのメッセージは日本の中、高生の心にも届いたようで、番組の掲示板やブログには、彼女と同世代の書き込みが多い。励まされたとの感謝の気持ち、尊敬の念、そして反省の気持ちなどだ。

 もし、彼女と同じ言葉を一般の日本の子どもが言ったら、きっと大人たちは「おまえが人生を語るのは早い。世の中はそんなにいいことばかりじゃないぞ」とたしなめるだろう。もし、100歳を迎える老人が言ったら「あなたは幸せな人生を送ってきたんですね」とうらやむかも知れない。これは、14歳にして老を迎えた彼女の言葉だから重いのだ。彼女は10歳にもならないうちに、自分の老と死について考えなければならなかった。どんなに恐ろしかったことだろう。そして、不満を言うより、不満を言わない生き方をしようと決めた。それは、(レポートを見る限り)特別なことをしようとしているわけじゃない。ほかの子どもたちと同じように、やりたいことには挑戦し、体調が悪ければ無理をしない(=あきらめる)。他人が困っていたら助けるし、困ったら助けてもらう。なんてことない、彼女は家族と友人たちと、ごく普通に過ごしている。そんな平凡な生活の中で「人生は悪くない」と言っているのだ。

 小学生の頃、先生の話だったか、図書室で読んだ本だったかに、ある病院の看護婦さんの話があった。不治の病の女の子が、苦しい治療をうけながらも、英語の勉強を一生懸命にしている姿に心を打たれたというのである。彼女は、身につけようとしている英語を、実際に活かすことができないことを知っている。無意味のように思える彼女の努力に、改めて「生きる意味」を考えさせられたというような内容だった。とても短い話だったが、いまでもときどき思い出す。一緒に「生きる意味」を考えさせられたから……ではない。同じ年齢の子が、母親よりも年上の看護婦さんに「生きる意味」を考えさせた……これは「すごい!」と思ったからだ。
 
 どんな過酷な運命であっても、その運命を素直に受け入れ普通に過ごす。この態度は、子どもであれ大人であれ、有名人であれ、無名人であれ、誰であっても感動させるものなのだ。つまり、与えられた運命を素直に受け入れることがいかに難しいことで、受け入れた後に普通に過ごすことが、どんなに大変かということである。
 この頃、非凡的な生き方(アウトロ~)にあこがれていたことを察したのか、ウチの両親はよく、父「平凡に生きることが一番むずかしいことだ」母「平凡が一番いいのよ」と私に言い聞かせるように言っていた(姉にはそんなこと言ってなかった気がする)。この話は、その意味を少しだけわからせてくれた。

 人間を初め、すべての真核生物は、老からも死からも免れない。これは種が生き残るために獲得した知恵のようだ。事故にもあわず、病気にもならずに生き永らえても、最終的には、自らの遺伝的プログラムで殺される。もう少し長生きさせろよ、と思っても、容赦ない。人はその逃れられない運命を頭では受け入れながらも、たいてい、「死にたくはない」と、じたばたしながら生きている。

 もし、不治の病に倒れたら、その運命を素直に受け入れられるだろうか。1分、1秒でも長くいきたいと、じたばたするだろうか。痛くて苦しかったらたぶん、じたばたはする。長く生きたいというより、とにかく、なんとかしてくれ! ……だろうけど。
 そう思う反面、不老不死は本当に不可能なのだろうか? という興味はある。現代の科学者(とくに工学者かな?)は、この過酷な運命をなんとか変えられないものかと、真剣に考えているように思う。もし、老化のシステムが解明され(テロメアが擦り切れるせい?)、遺伝子の改変が可能になり(倫理的に問題あるだろうが)、老化しない身体がつくれたら、そのとき、人はどう変わるのだろう。
 まず考えられるのは、生殖本能がなくなる。よって性別もなくなり、恋愛なんてナンセンス……なんか、それだけで、つまらない世の中だなぁ……。

投稿者 かめちゃん : 09:37 PM | コメント (0)

2005年12月19日

ドキュメンタリー『アメリカはなぜ戦うのか』

2005-12-19.gif 昨日の昼間、『アメリカはなぜ戦うのか』という2時間近くもある長いドキュメンタリーをNHKでやっていた。政治家、軍人、アメリカ市民、それに9.11犠牲者の遺族、ベトナム移民などなど、多くの人々へのインタビューと映像資料から、アメリカがなぜ軍事大国へ走っていき、また走り続けるのかを描いていた。バックに流れる音楽が情緒的すぎて、反戦的感情を煽るような意図を少々、感じつつも、これは観るべき価値のある番組だった。
 内容的にフランスかイギリスの作品か? とおもいきや、アメリカのシャーロットストリートフィルムズの制作で、しかもサンダンス映画祭でドキュメンタリー部門のグランプリをとった作品だそうで。よかった。アメリカは、まだ自己批判ができる国のようである。
 内容が濃く、ひとことでまとめるのは難しいのだが、かつてアイゼンハワー大統領が懸念していた軍産複合体の巨大化が、「9.11を境に現実化してしまったのだよ、歯止めが利かないのだよ、これが資本主義の怖さなのだよ、これは国民が権力への警戒を怠った結果なのだよ、だけど情報が操作されているから国民はどうしてもだまされちゃうのだよ、というわけなので残念ながら、この先もますます戦争をし続けることになるのだよ……」といったところか。
「なぜアメリカは戦うのか?」とマイクを向けられた老若男女の答えは、「自由のため」「正義のため」「平和のため」とそれぞれ自信を持って答えているけれど、構造的には「軍需産業の儲けのため」という図式が成り立っている。「戦争の闇の中で、人間性が鉄の十字架に掛けられている」と言ったアイゼンハワーの言葉は、そのまま「経済至上主義の闇の中で、人間性が鉄の十字架に掛けられている」に置き換えてもいいのかも知れない。
『サンデー・プロジェクト』では、姉歯元建築士による耐震偽装問題をとりあげていた。この問題も根っこは同じ。決して個人の資質の問題ではすまされまい。

投稿者 かめちゃん : 03:13 PM | コメント (0)