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かめちゃんのBlog

2007年01月30日

『佐賀のがばいばあちゃん』本はがばい!

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今月読んだ本(その1)が、この『佐賀のがばいばあちゃん』(島田洋七著/徳間文庫)。観てはいないが、テレビドラマになったようで、ベストセラーになっている。
「かばい」=「すごい」という意味らしい。つまり、タイトルを訳せば(?)『佐賀のすごいばあちゃん』。

はい! ”すごいばあちゃん”は、すごいです。このおおらかな生き方、暖かい気持ちにさせてくれる数々の名言……経験豊かな”おばあちゃん”のありがたさを感じる1冊です。

続編が数冊でているので、あとは買わずに図書館で借りよっかな~と予約状況を見てみたら、なんと! のきなみ60件~150件の予約が入ってる! この『佐賀のがばいばあちゃん』にいたっては、195件! うっそ……何年後になるんだよ……。がばいばあちゃんは、本の人気もがばいです。

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島田 洋七

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投稿者 かめちゃん : 09:19 AM | コメント (0)

2006年06月07日

昨日は666~

2006-06-07.gif 昨日は、2006年6月6日。666と6が三つ並んだ日……「きゃ~っ! オーメン~」ってことより、「あ、6月6日って、うちの両親の結婚記念日じゃなかったか?」ってことのほうが先に思い浮かんだ(何周年だ? とりあえず、おめでとう)。

 666は、ヨハネの黙示録が記すところの獣の数字(616という説もある)。この獣とは堕落した人間=悪魔を指すとかで、キリスト教では忌み嫌われている。が、映画『オーメン』や、ついでにいえば『13日の金曜日』のせいで、キリスト教とかかわりのない人々にも「666」や「13」という数字は不吉な数字という認識があるように思う。昨日、なにかよくないことが起きるんじゃないか? と思った人はきっといるだろう。

 聖書は読んだことがなくても、映画や小説の影響で、キリスト教的文化には馴染みがある。いま話題の『ダ・ヴィンチ・コード』や『ユダの福音書』も、キリスト教のお話である(異端だが)。なにしろ、日本の年末の大イベントといえばクリスマスなわけで、「クリスマスって何の日?」と聞けば「イエスの誕生日でしょ?」と誰もが答えられるはず。
 では、「花祭りって何の日?」と聞けば、たぶん「花祭りってなに?」と多くの人が首をひねるのではなかろうか。

 宗教としては意識していないのに、キリスト教にはどっぷりつかっているんだよなぁ……ってことで、少しはほかの宗教、近くて遠い(?)仏教を題材にした映画や小説に触れてみようと思った。
 で、手始めに読んだのが、手塚治虫の漫画『ブッダ』全12巻。オリジナルエピソードが多いけれど、伝えられている仏陀の生涯は、だいたいこんなものなのだろう。手塚氏らしく、仏陀を神聖化せず、悩みもするし失敗もする人間らしい人間として描いている。が、動物に乗り移れたり、絶対外れない預言者がでてきたりと、ちょっと非現実的すぎるところが気になったが、まあ、それは漫画ですから。

 では、映画で仏陀の生涯を描いたものってないのかな~と、ネットで調べてみたら「超大作映画『仏陀』実現する?日本で製作発表」(夕刊フジ 2005年10月21日)なんて記事を見つけた。制作は、インドのモディ財団総帥のブベンドラ・クマール・モディ氏。へぇ、インド人(チベット仏教の信者だそうで)。監督はインド出身のシェカール・カプール氏(『エリザベス』など)で、制作費はなんと約100億円? でもって、主演俳優には、オーランド・ブルームやブラッド・ピットの名前が挙がっているとか???? えーーーーっ! なんでーーーっ?? ありえないでしょーーーーっ!
 まあ、この記事、昨年10月のものなので、いまはどうなっているのだろう。来年公開予定らしいが、その記事以降、関連記事はみあたらない。

 この映画がもしヒットすれば、「花祭りって何の日?」と聞けば「釈迦の誕生日でしょ?」と、多くの人が答えられるようになるんだろうか。あ、でも、花祭りって、日本だけの行事だっけ?(釈迦の誕生日はBC563年5月4日。花祭りは4月8日。暦の関係らしいですが)。

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投稿者 かめちゃん : 12:39 PM | コメント (0)

2006年05月17日

『デスノート』と『不思議な少年』

2006-05-17.gif マーク・トゥエインの晩年の作品に『不思議な少年』というのがある(といっても、彼の没後、編集者が三本の遺稿をもとに手を加えてまとめたものらしいが)。この物語、彼の代表作『トムソーヤの冒険』のノリを期待して読んだら、奈落の底に突き落とされる。ピュアで多感な子どもが読んだら、人生を達観するかひねくれるか、あるいは途中で気分を害して放り投げる……だろう。なにしろ、痛烈な人間批判に満ちており、その根底には、ニーチェの影響? と思われる虚無主義的な思想とアンチクリスト精神が横たわっているのだ。もちろん、子供向けの物語なのだが。
 
 2月頃からハマっていた漫画『デスノート』(週刊少年ジャンプ掲載)がようやく最終回を迎えた。やれやれ、これでもう『ジャンプ』を買うこともあるまい。なんで本誌に手を出すまでハマってしまったかなぁ……と、自分でも不思議に思っていたのだが、その理由がラストの3、4話にきてようやくわかった気がした。これ、同じ匂いがするのだ――『不思議な少年』と。

『不思議な少年』は、美しい少年の姿をしたサタンという名の天使(実体は、なんでもできちゃう全知全能の予定説に立つ神そのもの)が、人間の善悪の概念をこてんぱんに破壊したあげくに「本当はね、天国も地獄もないんだよ」と言って去っていく物語である(簡単すぎだが)。
 この「天国も地獄もない」というセリフ、『デスノート』の死神リュークも同じようにのたまっている。リュークはサタンくんとはぜんぜんキャラも役割も違うけれど、立場は同じ神の位置。なるほどね……。『デスノート』の作者に会ったら(会うわけないが)「ニーチェ好きでしょ?」と聞いてみたい。

『不思議な少年』の徹底した人間批判は、サタンくんの言葉によって展開される。その中心にある思想は、人間の良心(道徳的に正邪・善悪を判断する意識)が、愚かな争い(戦争)や偏見、差別を生む源ということである。が、『デスノート』では、説教じみた発言はほとんど出てこない(それこそラストの数話でちょろっと)。とはいえ、やはりこの物語も、人間の良心を攻撃している……と読めるのだ。

 絶対主義の月くんvs相対主義のニア。作者はどちらにも誘導しない。読者は「どちらが正義なのか?」を自分の良心によって判断して読み進めることになる。そして、リュークの初期のセリフ――デスノートを使った人間は、天国にも地獄にもいけない――から、「デスノートを使った人間は地獄よりもひどい世界に行くのだろう」などと、読者はこれまた自分の良心に従って予想を立てることになる。

 それなのに……である。
 物語のラストで「天国も地獄もない。生前に何をしようと、死は平等。行き着く先は無である」と、突然、読者を「虚無主義(良心否定)の世界へようこそ~」と、突き落とすのだ。さらに、最終話では、追い討ちをかけるように「良心とは願望によって捻じ曲げられるもの」であり「宗教なんて虚しいもの」であることを、ずっと白だった(殺人には手を染めていない)ニアを黒にして(推定無罪だが)、悪として滅んだ月を心優しき弱者たち(女性や母親の姿で描かれている)の救世主として描くことで、読者の良心を混乱させてしまう(ちなみに『不思議な少年』のサタンくんも、天国や地獄があるような思わせぶりをしておきながら、最後に「そんなものないよ」と突き落としている)。

 ってことで、「やばいなぁ、ピュアで多感な子どもが読んだら、人生を達観するかひねくれるかするんじゃないか?」と思ったのだが、そんなことはないようだ。『デスノート』は、ストーリー展開がスリリングなのでそちらに引っ張られるし、深読みするには情報が不十分だ。
 ブログで感想を拾い読みしてみると、議論になっているのは「どちらが正義か?」という良心の範疇でのことだったり、伏線の「謎解き」の部分だったりである(それはそれでおもしろいが)。
 それにしても、意見も感想も賛否両論、てんでんばらばら……ここまで真っ二つに分かれる作品はそうそうあるまい。

 ただ懸念されるのは、(前にも書いたが)フィクションの設定(犯罪者を極刑にしていけば、犯罪も戦争もなくなるという幻想など)を現実に当てはめている人がまあ、多いこと。それこそ願望だと気づいてよ~……である。また、ラストのシーンは明らかに「宗教への皮肉だな」と読めるのだが、そうではなく「月も救世主になれて救われた=やはり彼のやったこと(悪人なら殺してもかまわない)は悪とはいいきれない」と解釈している人がこれまた多いこと。少しはひねくれて読んでよ~と、逆に心配してしまう。

 ある優生学を扱った本に「人間を高みに上げようとするならば(よりよい世界にするためならば)、悪に徹しなければならない」という言葉があった。要するに「よりよい世界にするためには、優秀な者ばかりの世界を創ればいい」→「優秀な者だけを残すためには、劣悪な者の排除はやむを得ない」→「これは悪だが、よりよい世界のためには必要だ」という考えだ。
 月のやったことはこれと同じ「悪」である。「悪じゃない」というのは問題外。ただ、必要悪かどうかが問題であり、もし、必要悪とするならば、行き着く先は(歴史に習えば)ファシズムである。

『不思議な少年』のサタンくんは、良心の下での殺戮を見ながら「何年たっても人間のやっていることは同じ」とせせら笑う。『デスノート』のリュークは、同じく良心の下での殺戮を見ながら「人間って面白」とおもしろがっている。
 ちなみに『不思議な少年』は、世界がファシズムに翻弄される前に書かれたものだ。

(山下和美氏が同タイトル『不思議な少年』の漫画を出している。マーク・トゥエインのサタンくんをモデルにした少年が出てくるけれど、こちらはまだ人間味がある)。

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投稿者 かめちゃん : 12:54 PM | コメント (0)

2006年04月06日

この訳すごい! って本

2006-04-06.gif 新札に樋口一葉が採用されるとわかったとき「どれ、彼女の作品でも読んでみるか」と手に取ってみたのだが……ぜんぜん、読めない! と1秒であきらめた。易しい現代語の本ばかりに慣れ親しんでしまった現在、明治の文学だけでなく、大正、昭和初期の文学作品はすでに脳が受け付けない。だれか現代語に超訳してくれないかなぁ……と思うことしばしばである。

 そんな中、本屋で『キリスト教は邪教です!』という過激なタイトルの新書を見つけた。著者はニーチェ。ん? ニーチェってあの「超人」とか「永劫回帰」とか言ってた○○で発狂した哲学者? と不思議に思って手にとってみた。表紙には、現代語訳『アンチクリスト』とある。あ、訳し直してくれたんだーっ! とぺらぺらめくってみたら……笑える。なんだ、この毒舌ぶりは! いいのか、こんな訳で……と、買ってしまった。

 とにかく笑える。笑っちゃいけないけど笑える。ここまでキリスト教、教会、信者を馬鹿にした読み物はめずらしい。差別的な言葉をあえてつかっている(訳として残している)せいか、批判を通り越してこれは悪口。まあ、このぐらい痛烈にものを言わないと、確立された価値観を転換させることはできないのでしょうけれど(といっても、できていないが)。

 それにしても、この訳者(適菜収氏)の超訳ぶりはおみごと。小見出しには、「キリスト教は引きこもり」「キリスト教のバカの壁」「世界の中心で愛をさけぶおごり」……って、21世紀の日本人にしかわかりません。おまけに本文には「バカ」「ヨタ話」「恥知らず」「大ウソ」「デタラメ」といった悪口のオンパレード……匿名掲示板も真っ青である。

 でもまあ、そのため、かなり読みやすいことは確かである(数時間で読めます)。ただ、ここまでやると、本来の意味からズレているのでは? と疑いたくもなる。検証するなら、昔のこむずかしい訳と読み比べてみるべきだろうが、そんな気力はない。とりあえず、本旨のエッセンスは伝わるだろうし、なにより、多くの人に読んでもらえるだろうから、ニーチェもOK? ……ってとこでしょうか。ちなみにこの本、発狂する前年(1888年)に書かれた作品。

 本の内容は、ルサンチマン宗教に対するルサンチマン? ……としか読めなかったのだが、「信じることは真理とは関係がない」という主張は、信仰を持たない人々であっても、肝に銘じておくべきことか。
 まあ、こんな感じでもいいから、こむずかしい古典をどんどん現代語訳にしてもらいたいものです。


キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』
フリードリッヒ・ニーチェ 適菜 収

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投稿者 かめちゃん : 01:52 PM | コメント (0)

2006年02月06日

読書(まとめて)

2006-02-06.gif NHKの世界遺産を紹介する番組のオープニングに、ゴーギャンの「我々はどこからきたのか、我々は何者か、我々はどこへいくのか」というタイトルの絵を使っている(絵の人物を動かすのはNHKクオリティ?)。この普遍的なテーマは、哲学やら宗教やらの領域のように思えるけれど、最近は生物やら物理やらをはずして考えるのは難しいようである。

『時空を旅する遺伝子』(西田徹著/日経BP社)によれば(これ、実はビジネス書だったりする! 経営者におすすめ)、生命とは「自分自身の安定性」「自己複製能力」「複製エラー」という3つの性質を持った自然現象に過ぎないということだ。生命=自然現象。どこからきて、何者で、どこへいくのか……生命、特に人間だけに、なにか特別な目的を与えられているわけじゃないということだ。

 さて、養老さんの新刊『超バカの壁』(新潮新書)と日高さんの新刊『人間は遺伝か環境か?遺伝的プログラム論』(文春新書)を続けて読んだ。養老さんは解剖学者、日高さんは動物行動学者。両者の著書に共通するのは、人間を「生物(自然)の一部」として語っていることだろう。人間という種の生物的性質から世の中を見渡せば、社会の歪みの原因が見えてくる……というスタンスである。その根底にはさきほどの「人間だけになにか特別な目的を与えられているわけじゃない。自然から汝を学べ」という考えがあるように思う。

 前者は前作(『バカの壁』『死の壁』)同様、編集者が聞き取ったことを書き下ろしたパターン。なので、読みやすい……というより、まるで父親と話をしているような内容だった。とくに今回は「若者の問題(ニートなど)」「テロの問題」「靖国の問題」など、最近のニュースネタを小出しにしているので、家で父に「この問題どう思う?」とふったあとに返ってくる答え(=持論)を聞いているような感じだ。

 後者は「個性や才能は遺伝子で決まるのか、環境で決まるのか」というきわどいテーマだが、親や教育者に知ってもらいたい「子どもはどうすればフツーに育つのか?」という教育に必要な基本的な考え方を提示した本である。 
 日高さんは「人間は数多くの動物たちの中のひとつの種であることを改めて認識して、どのような条件のとき自らの遺伝的プログラムをスムーズに具体化していけるのかを考えなければならない」といっている。遺伝的プログラムというのは、安定と複製(つまり生き延びること)のために、生命各種に都合よく組まれた種固有のプログラムのこと。具体化というのは、次のステップに向かうため(発育、成長)にプログラムを実行すること。人間は、この具体化の部分で多様な選択ができるようになっている(個性や才能はこの具体化の部分で決まってくる)。

 つまり「人間を決めるのは遺伝か?環境か?」の二者選択ではなく、決められた遺伝的プログラムの実行時期にあった環境下(栄養、教育……観るもの聞くもの……などなどなど)におけば、子どもはフツーに成長するってことらしい(ちなみに遺伝的プログラムには、人種差を含め、個体差などまったくない)。なにやら難しそうに思えるけれど、本来、知識など必要のないことなのだ。人間はほかの生物同様、自然にやってきたのである。それを難しくしてしまったのが、養老さんのいう「都市化」なのだろうと思う(日本の場合)。

 養老さんの文章には「都市化」と「自然」の対比がよく出てくる。「脳」と「身体」の対比も多い。「自然を切り離した都市化」、「身体を切り離した脳(意識=自分)」の至上主義。それが現代日本社会。二冊続けて読むと、なるほど、社会の歪というものは「生物としての遺伝的プログラムを軽視していることにあるのかもしれない」と思えてくる。
 21世紀は生物(学)の世紀。「我々はどこからきたのか、我々は何者か、我々はどこへいくのか」の答えは、たぶん、科学的には説明できるようになるだろう。人間は生物=自然現象。その視点に立たなければ、社会も政治も進まなくなるような気がする。とはいえ、宗教を超えるのはまだまだ難しそうだけど。

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投稿者 かめちゃん : 02:46 PM | コメント (0)