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カメちゃんのお出かけ帳

チームマイナス6パーセント

かめちゃんのBlog

2006年11月17日

生まれ変わり

2006-11-17.gif 数日前、とあるテレビ番組で、こんな統計クリップを見た。
「小学生の実に60%以上(細かい数字は忘れた)が、死後、生まれ変わりを信じている」。

 そりゃあ、ここ、仏教国ですから……じゃない。仏教では輪廻転生なんてつらいんだぞ~、早く解脱しろよ~と教えているはずなのに、子どもたちが信じている「生まれ変わり」は、死ねば新しい肉体と環境が手に入る=人生のリセット=すばらしいこと! なのである。

 その番組に出ていた小学生たちのなかで、自殺を考えたことがあると答えた子どもたちのほとんどは、生まれ変わりを人生のリセットだと信じていた。まあ、輪廻転生を望むということは、いまの世の中は「幸せ」だと思っているからだろう。世の中は幸せなのに、自分だけ不幸……だから、いまの自分をリセットして、次の人生にかけてみる。そんな考えから自殺してしまう子どももいるということだ。

 この輪廻転生という思想。別に仏教の専売特許じゃない。いま『オルフェウス教』(レナル・ソレル著、脇本由佳訳)という本を読んでいるのだが、この古代ギリシアの属州(トラキア地方あたり)で流行ったマイナー宗教も、同じく輪廻転生、魂の永遠を説いている。そして、仏教同様、輪廻からの脱出を目指しているのだ。こちらの信者も「この世は幸せ」とは思っていなかったのだろう。

 ギリシア神話のオルフェウスといえば、竪琴弾きの名手である。人間だけでなく、動物も植物もハデス(黄泉の国の神さま)までもをうっとりさせてしまうほど、美しい音楽を奏でる。その音楽家が創始した宗教……とされているようなのだが(まったく関係ないとの説もあり)、その内容は、実にストイックだ。いっさいの殺生を禁止とする、グルメにはキツ~イ、菜食主義である。ちなみに自殺も殺生なので、禁止である。

 そもそもこれを守らないと入信できないし、入信後にこれを破ったら資格を失う。入信儀式は秘密の秘密の密議なため、その詳細はほとんど伝わっていないようだが、信者になれば死んだときに、神の国への秘密の案内板をもらえるらしい(柩に入れてもらえる)。これ、小さな金の板で、そこには神の国への道案内と合言葉が彫られている。死ぬと一切の記憶を失うが、この案内板があればたどり着けるというわけだ。案内板がなければ、道に迷い、審判者に誘導されるまま、飲んではならない泉の水を飲み、再び輪廻の道を歩まされる。が、すぐに生まれ変われるわけじゃなく、その前に、拷問されるらしい……(こわっ)。

 殺生禁止、菜食主義……というあたりも、まるで仏教。どちらが影響を受けたのかはわからないが、どちらも同じ紀元前6世紀頃である。ちなみに、オルフェウスが死んだ妻を取り戻そうとする神話のエピソードは、古事記のいざなぎといざなみの話にこれまたそっくり。オルフェウスはハデスの国まで行って「最後まで振り向かずに地上に出たら、妻を返してやる」との約束をとりつけるものの、最後の最後で振り向いてしまいチャラになる。こちらはあきらかに、日本が「この話も~らい」とアレンジしたんでしょうな。さすがニッポン、いつの時代も、アレンジはお手の物!(ほめてるんです)。

 さて、生まれ変わり……そういえば、子ども時代は信じていたなぁ、と思い出した。紫式部の伝記を読み「私は紫式部の生まれ変わりなのだ!」とメルヘンチックな電波を発していたし、「解脱するより生まれ変わったほうが楽しいじゃん」とも思っていた。幸い(?)「世の中は幸せ、自分も幸せ」だったからいいようなものの、もし、「自分は不幸」と思っていたとしたら、果たして自殺を考えただろうか? いまとなってはわからない。
 中学になって「世の中は不幸で腐ってて最悪の場所、でも、自分は幸せ……」という認識に変わり(ひどいな)、それと同時に生まれ変わりを信じなくなった。いや、その認識のせいではなく「科学的にあり得ない」と思ったからだけど。

 たぶん、中学ぐらいでみんな気付きはじめるのだろう。が、「世の中は幸せ、自分は不幸」と思っている子どもたちに、「生まれ変わりなんてないんだよ」と教えても、何も変わらないように思う。

 ゴダイゴのミッキーさんが、自分のBBSにこんなことを書いていた。
「人は命ある限り生まれ変われる!」
 そうそう、大人になると、そう思える。が、子どもの世界には、そう実感できるシステムはない。子どもは、家庭、学校、地域から自由になることはできないし、たとえ抜け出しても、この先の人生、不利になることがわかっている。

 変えることのできない環境の中で、生まれ変われる方法ってなにかなぁ……
 オルフェウス教に入信したら、自殺は禁止だけど……(って、もうないよ)。
「だからこそ、教育基本法を変えるんですっ!」
 というわけなのかは知らないが、そんな動きも見えている。これでますます不自由にならなきゃいいけどね。

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投稿者 かめちゃん : 02:45 PM | コメント (0)

2006年04月10日

ユダの福音書

2006-04-09.gif いま、本屋に行くと、キリスト教関連のミステリー文庫が平積みされている。『ダ・ヴィンチ・コード』『聖骸布血盟』『メサイア・コード 』(『イエスの遺伝子』のタイトル変更版?)『イエスの古文書』……。この国のキリスト教徒は1%程度らしいが、クリスマスで馴染み親しんでいるせいか、興味や知識を持っている人はけっこう多いのだろう。

 そんなブームをさらに過熱させるかのように(?)、1970年代に発見された「ユダの福音書」の写本の解読が終わった! というニュースがあった。で、昨晩、その特別番組をCSの『ナショナルジオグラフィックチャンネル』でやっていた。

 福音書というのは、イエスの死後に書かれたイエスの言行録。新約聖書(正典)にはマタイ、ルカ、マルコ、ヨハネの4書のみが認められて、ほかはすべて没(外典)! である。今回の「ユダの福音書」も没にされたひとつ。
 番組によれば、2世紀頃、さまざまな流派(特にグノーシス派)により福音書が乱立し、収拾を図るため(正統派を擁護するため?)、読みやすくわかりやすい正統派4書をセレクト。あとは徹底的に弾圧されたようである(いつの時代も、大衆ウケしたわかりやすいものが生き残るということか)。

 この「ユダの福音書」(を含む古文書)の写本は、コプト語(古代エジプト語)でパピルスに書かれたもので全13ページ。放射性炭素年代測定により300年頃のものと判明した。が、二度の売買、窃盗、貸し金庫に放置……ってことでもうボロボロ。修復から解読まで、ぜったいこんな仕事やりたくないと思えるような途方もない作業の様子も番組ではとりあげていた。

 まあ、その作業のことはおいといて、その内容は? ……これがびっくり仰天、ユダはイエスを金で売った裏切り者じゃなく、イエスの教えを唯一正しく理解していた弟子であり、売ったのはイエスの指示によるものだった! というもの。くわえて、イエスからこっそり、神の国の秘密を教えてもらっていた! ってなことが書かれているようだ。
 が、この内容はすでに180年頃に司教エイレナイオスによって書かれた『異端反駁』に言及されているようで(もちろん、異端として非難=「ユダの福音書」はグノーシス派による創作で、福音書は4書(正典)のみ! と主張)、今回、その裏づけがなされたということか。

 ニュースではユダが裏切り者でないとすれば、「世界的に大きな論争を巻き起こしそうだ」と煽っているが、外典は外典、異端は異端で終わるだろう。とはいえ、世界中の研究者の知的好奇心や作家の創作欲をくすぐることは間違いない。それに、同じグノーシス派の古文書『ナグ・ハマディ写本』(1945年発見。やはりエジプト、コプト語、パピルス文書、4世紀頃)とセットでグノーシス主義ブームが起きる(?)かも知れない。こちらは13の冊子からなっており、プラトンの『国家』の一部が書き写されていたりするらしい。

 グノーシスといえば、神秘主義やオカルトチックなイメージがつきまとってしまうけれど、本来はものすごく広義で複雑で小難しくて、一部のエリートにしか理解できないものだったとか。知っていることといえば、この世界を作った創造主は神様じゃないよんと、ユダヤの神を否定していることぐらいである。もし、この「ユダの福音書」がグノーシス派のものだとすれば、ユダ=ユダヤ人の象徴としてきた解釈はとんでもない! ってことになるのでは? ……と思うのだが。

 ともあれ、近々、「ユダの福音書」関連のミステリーが、本屋の平台に並ぶことだろう。でも、先日紹介したニーチェの現代語訳アンチクリスト『キリスト教は邪教です!』のインパクトには負けるだろうな~。


 とりあえず、ウチにある『グノーシス』(筒井賢治著)なんかを紹介しときます(まだ未読部分多)。

グノーシス―古代キリスト教の“異端思想”グノーシス―古代キリスト教の“異端思想”
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投稿者 かめちゃん : 02:53 PM | コメント (0)

2005年09月28日

昔の動物寓話

2005-09-28.gif  図書館で借りてくる本の中で、時々「この本、買い!」と手元においておきたくなるものがある。まだ流通している本ならアマゾンで買えばいいのだが、すでに絶版、出版社も潰れてない! となると、古本屋をめぐりめぐらなければならない……というのは昔の話。いまの世の中、古本屋もオンライン! 調べてみると、数社で扱っていた。が、同じ系統の本(同じ出版社のシリーズ本)で気になるものが……。中身を見ずして買うのは少々ためらわれたので、結局、神田の古本屋に行ってみることにした。
 ネットでは「在庫あり」の書店に直行してみたものの、目的の本はすでにあらず。そのシリーズ本で一番気なっていた本もない。が、二番目、三番目に気になっていた本があったので、それをGETしてきた。
 欲しかった本は博品社の「博物学ドキュメント」シリーズの中の『フィシオログス』と『中世動物譚』。買ってきたのは『サイと一角獣』と『動物と地図』である。ほかにも、このシリーズには魅力的なものがたくさんあるのだが、金がないので目を瞑る(たとえば『シェークスピアの鳥類学』。彼は狩猟の達人だったそうで、作品の中の直喩、隠喩には鳥類学の知識がちりばめられているそうなのだ。へぇ)。
 さて、『フィシオログス』の話。これは西暦200年頃に書かれたとされるキリスト教的動物寓話(全55話)である。作者は不明。書かれた場所はアレキサンドリアで文字はおそらくギリシア語。翻訳版多数。1000年以上の長いスパンで版を重ねるうちに補充、編集構成も段階的に変わっていったということで、オリジナルを求めるのは難しいようだ。
 フィシオログスとは「自然について語る人」という意味。この人物が、聖書や古典から引用してきた動物(植物、鉱物も一部あり)について語り、「しかるに人間は~」とか「しかるに神は~」と、その動物の習性をキリスト教的教訓話に展開していく。つまり自然科学者なんだけど神父さんって感じだろうか。中世ヨーロッパでは、聖書と並ぶ大ベストセラーだったそうな。
 いま読めば「ウソばっか」と子どもでもあしらいそうな内容のものが多い(中には「カラスは一夫一婦で相手が死ぬと、もうつがいはつくらない」とか「ガゼルは遠くからでも狩人の姿が見える(視力がべらぼうにいい!)」とか現代の認識と同じ記述もある)。
 面白いのはフェニックスや一角獣などの幻獣も登場するところだ(いちおう、自然科学の本)。そのなかに「アリライオン」という聞いたこともない動物がいる。アリのように小さい動物かと思いきや、さにあらず。ライオンを父にアリを母に持つ哺乳類と昆虫のハーフ! しかも、父の食す肉も食べられなければ母の食すノギ(草の先端)も食べられずに餓えて死んでしまう。この動物からの教えは「二股かけるな(二つの道をいくのは罪びと)」……だそうで。
 なんでこんな奇妙な動物が生まれたのだろう。解説によれば、ヘロドトスの『歴史』やプリニウスの『博物誌』に出てくる「狐より大きいアリ」や、ストラボンやアイリアノスの著書にみられるライオンの一種「ミュルメクス(ギリシア語でアリ)」の影響、それに加えて七十人訳聖書(72人の訳者が72日間で訳したとされるモーセの五書)のヨブ記をあげている。この七十人訳、野牛を一角獣に誤訳したことでも有名で、この場合も、ヘブライ語のlayish(ライオン)をミュルメコレオン(アリライオン)と訳した模様。著者は言葉通りの動物を信じ、フィシオログスに語らせたということか。
 聖書は真理。フィシオログスはウソつかない(しつこいですが、自然科学の本)ってことで、中世まで不思議な動物たちの存在は、一般的に信じられてきたのだろう。だけど、本当のところどうなのだ? こんなけったいな動物を本当に信じたのだろうか。いや、現存する動物でも、たとえば「キツツキは中が空の木を見つけて巣を作る」とか、果たして信じられるだろうか(空っぽの木だったら、巣は下まで落ちるだろうが)。
 現代に転換してみると、ゴジラをはじめポケモンの怪獣を「いる!」と心から信じている子どもたちはいるだろうか? という問いと同じかも知れない。モリゾーとキッコロは万博が終わって森に帰った。ただのイベントキャラクターだと誰もがわかっていても、そういう物語をみんなで共有することが大切で、それが心地よかったりする。大事なのは事実がどうあれ、「みんなでなりきる、思い込む」ってことなのかも知れない。
 残念ながら『フィシオログス』のブームは中世どまり。近世以降、ほとんど顧みられることはない。現在の動物で『フィシオログス』を作ったら面白そうだけどなぁ。

投稿者 かめちゃん : 11:36 AM | コメント (0)

2005年08月18日

女学生言葉

2005-08-17.gif「ちゃんちゃらおかしい」「おじゃん」「つんつるてん」「ピカ一」「とんがらがる」……これみんな、昭和初期の女学生言葉なんだそうな(『女学生手帖』河出書房新社より)。そして、これらの言葉はいまの国語辞典に載っていたりする。
 ってことは、いまの若者言葉も数十年後には、フツーの辞典にあたりまえのごとく載っているのかも知れない。そのときはきっと、言葉の乱れ云々と目くじら立てていたことのほうが、おもしろおかしく思えることだろう。
 今思えば、昔の流行語は、母親の口から教わってきた気がする。上記にあげた言葉にしても、口にするとなぜか母の顔が浮かんだりする。袖の短くなった服を「つんつるてんになっちゃたね~」といって直してくれたりとか、怒ってすねていたりすると「なにとんがらがってるの」とか。子ども時代に自然に聞いてきた言葉は、由緒正しい日本語だろうが、流行語として生まれた新語だろうが同じように消化され、定着していくのだろう。
 それにしても、どうして新語を生み出すのは、女学生だの女子高生だの女性とされるのだろう。きっと、男子校でも流行語は生まれていると思うのだが……。もしや、男子校で生まれた言葉は、結局、母の口から子へ伝わるネットワークには負けて淘汰されてしまうのか? 
 ま、いまは女子も男子もおんなじ言葉を使っているわけだから、女子高生が生み出そうが男子高生が生み出そうが、「若者の言葉」としてごっちゃにされているのかも知れない。
 ともあれ、山のように生まれている新語。どれが残り、どれが廃るのか、それは彼らの子どもが、どの言葉を覚えるかにかかっているのかも知れない。

投稿者 かめちゃん : 12:34 PM | コメント (0)

2005年07月28日

タクシーのサービス

2005-07-28.gif ウチには車がないので、乗るときはタクシーか友人の車。たいてい、カーナビが付いていて、テレビやDVDなんかも観れたりする。
「運転しながらテレビってのは危険そうだなぁ……」
 って思っていたら、やっぱり走行中の画面凝視ってのは、違反なのね。考えてみれば、走っているときはテレビは消えたような気もする(後部座席についているのは消えなかったが)。
 走行中の携帯電話、テレビは違反。だけどラジオや音楽はOK、というか、誰も問題にはしない。むしろリラックスできるし、集中力が高まったりもしていそう。が、やっぱり最初は「事故を増やす」ってことで禁止されていたようである。
 最初? つまりタクシーの事始め。引き続き、『昭和日常生活史』をながめていたら、そんな記事があったのだ。
 昭和初期、市内1円均一という「円タク」が走っていた。乗り心地はあまりいいものではなかったようだが、均一料金というのがウケて、かなり流行ったようである。が、昭和5年頃になると、世界各国大不況の中、日本では金融恐慌が起こり、失業者が32万人を超えるという状況に陥ってしまった。で、円タクも1円では客がつかず、50銭に値下げしてもガソリン代すら稼げない。そこで、考えたのが、ラジオ導入である。タクシーに乗れば、ラジオが聞ける。それで客が戻ったのかどうかは詳しくないが、警察が目をつけたということは、そこそこ評判になったのかも知れない。
「最近の交通事故増加の原因に、タクシーのラジオがあるのではないか」と疑う警察は、早々に取締りを始めたらしい。せっかく考えた客寄せサービスが、お上の一存で潰される……ま、今もそれっぽい話は聞きますな(企業が苦労して開発した発泡酒に税金かけちゃうとかさ)。
 タクシーのサービスといえば、思い出すことがある。以前、仕事で帰宅が深夜(あるいは朝!)になることがよくあった。で、タクシーをつかまえるのだが、会社の前に止まっているタクシーに1台、名物タクシーがあったのだ。そのタクシー、客に酒を勧めるのである。出発前に運転手自らがカクテルを造り、それを紙コップにいれてふるまってくれる。もちろんお断りすることもできるし、こちらが怒ったような疲れきった態度で乗り込むと、話しかけてもこない。
 そのタクシーには2度乗った。1度目は勧められるまま飲んでみた。わりとおいしいのだが、客が飲んでくれると運転手の方が機嫌がよくなり、延々と話しかけてくるので参った。なにせ、こっちは疲れてるもんで。ということで、2度目は話しかけられないようにとムスッとしたまま。これもこれで疲れるのだが……。
 あのタクシーはまだ走っているのだろうか? そもそも客に酒を勧めるのって違法じゃないか?……などと考えたりするが、運転手なりに、客に対するサービスを考えてのことだったのだろう。
 酒のサービスはいただけないが、タクシーの客席はマッサージチェアになっていて、自由に使えるようにしてくれるとうれしいなぁ……などと年寄りくさいことを考えたりする。
 ま、最近はタクシーには乗らないけどね。

投稿者 かめちゃん : 12:03 PM | コメント (0)