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かめちゃんのBlog

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2004年02月28日

話題の芥川賞作品を読む(1)

 現代を「生きづらい」と言う著者の本を、読んでみることにしたよ。というのもculiが芥川賞受賞作2編が載っている『文藝春秋』を買ってきたからなんだけど。今年(第130回)の受賞作は金原ひとみさんの『蛇にピアス』と綿矢りささんの『蹴りたい背中』だ。続けて読むとどうしても比べちゃったりするんで、今日は『蛇にピアス』だけにした。つまり、今日の日記は、読書感想文なり。
 ……の前に、読み終わった後に真っ先に気になったこと=「みんなどう思ったんだろう?」である。つまり、他の読者の反応が気になったのだ。そこで、amazon.com(http://www.amazon.co.jp/)へ行ってみた。すごい。すでに100件以上ものレビューが! さすが話題作だなぁ、と、ザザッと目を通してみたけれど……なんとまあ、よくもこんなに評価が分かれるものだと感心してしまった。
「完成度が高い」「芸術的」「才能に打ちのめされる」という手放しの賞賛もあれば、「グロテスク」「なにがいいたいのかわからない」「なぜこれが芥川賞?」と嫌悪感に満ちたものまで様々。もともと純文学は、そういう評価の幅を見るもんなんだろうけど、今回のは舌ピアスや刺青、SMといった生々しい描写に「おえっ~!」となってしまい、生理的に「これはダメ!」と投げ出してしまったひとも多かったんだと思う。これも異物(異なる価値観)を受け入れられないアレルギー反応かな。
 まあ、題材はドギツイけど、この作品には、若者がなんで「生きづらい」って感じてしまうのか、その答えがちゃんと埋め込まれているではないの。それは読むひとによって、それぞれ違う破片を拾えるようになっているけれど、どれもこれも、とにかく先が鋭くとがっていて、触れると痛いことは確か。
 ぼくが拾った破片は「ああ、そっか。若者の生きづらさっていうのは、<自由>にあるんだな」っていうものだ。いまの社会は「なんのために生きるのか」という<不自由さ>を手にいれにくい。「汝に幸せを追求する自由を与える」と言われても、彼等はどうしていいのかわからないのではないだろうか。「幸せの追求」は、「なんのために生きるのかという<不自由さ>の追求」に他ならない。彼等はその不自由さからも自由でいたいと思いながらも、その不自由さを求めてしまう……そんな矛盾を抱え込んでいるような気がするのだ。
 主人公のルイは「家族連れの多い商店街のうるさい人々の声に、吐き気を覚え」(引用)、「こんな世界にいたくない」(引用)と、ごく<普通の社会の営み>に強い拒否反応を示している。……なぜだろう? それは、決められたレール=神様のレールの上を走るだけの自由に、ルイはアレルギーを起こしてしまうからだろうか。
 だからルイは、神様が与えてくれた<身体>というレールから脱線することに、強く惹かれたのかも知れない。神様がくれた身体を改変し----(彼の)スプリットタン(蛇のように二股に分かれてる舌)に憧れ舌ピアスをし、背中に動物界の神=麒麟と(彼と同じ)龍の刺青を入れて----自ら神になりたかったのだろう。そうすることでしか<不自由さを求める自由>から<自由>になれないと思ったのではないだろうか。
 だけど、<自由>であったはずの彼(他者)との関係が壊れたとき、ルイはその関係の<不自由さ>にしがみついてしまった。これで、彼女の舌ピアスと刺青は意味(=自由)を失ってしまったのだと思う。これから彼女は、自由の亡霊を舌と背中にしょって、不自由のなかを生きていくのだろう。

 これはこの作品に込められた「生きづらさ」の一破片に過ぎない(レビューを読むとわかるよ。様々な捉え方してるから)。読者が読みとった「生きづらさ」の破片をつなぎ合わせると、芥川龍之介の言った「漠然とした不安」を描き出すのかも知れない。
 この作品が受賞した理由を考えると、なんとなくそんな気がしたよ。

蛇にピアス
金原 ひとみ

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投稿者 かめちゃん : February 28, 2004 04:52 PM

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