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カメちゃんのお出かけ帳

チームマイナス6パーセント

かめちゃんのBlog

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2004年02月29日

地球は狭かった

今日は、読書感想文の続き(もう片方の受賞作についての)の予定だったけど、読めなかったのでまた後日……ってことで、今日はテレビ『NHKスペシャル:データマップ~感染症・謎の拡大ルート』から拾ったネタ。いま一番身近な社会問題=感染症の話だ……のつもり。
 日本をはじめアジアにおいて深刻なのは、H5型の鳥インフルエンザ。だけど、世界を見渡せば、さまざまな新種ウイルスが飛び交っており、シャレにならない状況に陥っているようなのだ。
 インドネシアでは今年、新種のデング熱ウイルスが猛威を振るい、オランダでは1年前、H7N7型の鳥インフルエンザが、そしてアメリカでは5年前にいままでなかった西ナイル熱が流行した。鳥インフルエンザは渡り鳥が、そしてデング熱と西ナイル熱は蚊が運ぶ。
 渡り鳥は、本来の住処=原生林が減ってしまったために、人里にまでやってくる。蚊は、飛行機やら船やら、人間達の移動にともなって、北の地域にまで勢力を広げている。日本でも、温暖化のせいで、亜熱帯にしかいなかった毒クモが住み着いてしまっている。まるで「ウイルス民族大移動」(クモは違うが)とばかりに、世界中にわらわらと散らばり侵略しているようで不気味だ。彼等の武器は、突然変異(クモは違うが)。21世紀最大の敵は、こいつら「ウイルス」なんだろう(クモはどうなんだ?)。
 それに加えて心配なのは、大気汚染(化学物質)に酸性雨。これらは大陸から風が運んできてしまうのだ。おとなり中国の急成長の影には、深刻な環境破壊問題があったりする。その問題を抱えながら、ただいま、先進国と同じ消費生活めざして、ばくしん中だ。
「誰もが米国人のような生活を望んだら……それだけの消費を支えるには、地球3個分の資源が必要になる」(『ナショナルグラフィックス』2004.3月号)のだそうだ。……まいったね。
 鳥インフルエンザも環境問題も、すでに国内だけでどうこうできる話じゃないってことだ。……困ったね。
 ウイルスははびこるし、エネルギーは減るし、地球を3個用意することはできそうにないし……どうすればいいんだろう。ワクチンを開発し、環境に優しいエネルギーを見いだし、宇宙ステーションに移住する? そして幸せな消費生活を……でも、消費生活にどっぷりつかっている若者たちは「生きづらい」って言ってるんですけど……。
 ま、明日は『蹴りたい背中』読もう。

投稿者 かめちゃん : 04:54 PM | コメント (0)

2004年02月28日

話題の芥川賞作品を読む(1)

 現代を「生きづらい」と言う著者の本を、読んでみることにしたよ。というのもculiが芥川賞受賞作2編が載っている『文藝春秋』を買ってきたからなんだけど。今年(第130回)の受賞作は金原ひとみさんの『蛇にピアス』と綿矢りささんの『蹴りたい背中』だ。続けて読むとどうしても比べちゃったりするんで、今日は『蛇にピアス』だけにした。つまり、今日の日記は、読書感想文なり。
 ……の前に、読み終わった後に真っ先に気になったこと=「みんなどう思ったんだろう?」である。つまり、他の読者の反応が気になったのだ。そこで、amazon.com(http://www.amazon.co.jp/)へ行ってみた。すごい。すでに100件以上ものレビューが! さすが話題作だなぁ、と、ザザッと目を通してみたけれど……なんとまあ、よくもこんなに評価が分かれるものだと感心してしまった。
「完成度が高い」「芸術的」「才能に打ちのめされる」という手放しの賞賛もあれば、「グロテスク」「なにがいいたいのかわからない」「なぜこれが芥川賞?」と嫌悪感に満ちたものまで様々。もともと純文学は、そういう評価の幅を見るもんなんだろうけど、今回のは舌ピアスや刺青、SMといった生々しい描写に「おえっ~!」となってしまい、生理的に「これはダメ!」と投げ出してしまったひとも多かったんだと思う。これも異物(異なる価値観)を受け入れられないアレルギー反応かな。
 まあ、題材はドギツイけど、この作品には、若者がなんで「生きづらい」って感じてしまうのか、その答えがちゃんと埋め込まれているではないの。それは読むひとによって、それぞれ違う破片を拾えるようになっているけれど、どれもこれも、とにかく先が鋭くとがっていて、触れると痛いことは確か。
 ぼくが拾った破片は「ああ、そっか。若者の生きづらさっていうのは、<自由>にあるんだな」っていうものだ。いまの社会は「なんのために生きるのか」という<不自由さ>を手にいれにくい。「汝に幸せを追求する自由を与える」と言われても、彼等はどうしていいのかわからないのではないだろうか。「幸せの追求」は、「なんのために生きるのかという<不自由さ>の追求」に他ならない。彼等はその不自由さからも自由でいたいと思いながらも、その不自由さを求めてしまう……そんな矛盾を抱え込んでいるような気がするのだ。
 主人公のルイは「家族連れの多い商店街のうるさい人々の声に、吐き気を覚え」(引用)、「こんな世界にいたくない」(引用)と、ごく<普通の社会の営み>に強い拒否反応を示している。……なぜだろう? それは、決められたレール=神様のレールの上を走るだけの自由に、ルイはアレルギーを起こしてしまうからだろうか。
 だからルイは、神様が与えてくれた<身体>というレールから脱線することに、強く惹かれたのかも知れない。神様がくれた身体を改変し----(彼の)スプリットタン(蛇のように二股に分かれてる舌)に憧れ舌ピアスをし、背中に動物界の神=麒麟と(彼と同じ)龍の刺青を入れて----自ら神になりたかったのだろう。そうすることでしか<不自由さを求める自由>から<自由>になれないと思ったのではないだろうか。
 だけど、<自由>であったはずの彼(他者)との関係が壊れたとき、ルイはその関係の<不自由さ>にしがみついてしまった。これで、彼女の舌ピアスと刺青は意味(=自由)を失ってしまったのだと思う。これから彼女は、自由の亡霊を舌と背中にしょって、不自由のなかを生きていくのだろう。

 これはこの作品に込められた「生きづらさ」の一破片に過ぎない(レビューを読むとわかるよ。様々な捉え方してるから)。読者が読みとった「生きづらさ」の破片をつなぎ合わせると、芥川龍之介の言った「漠然とした不安」を描き出すのかも知れない。
 この作品が受賞した理由を考えると、なんとなくそんな気がしたよ。

蛇にピアス
金原 ひとみ

集英社 2003-12
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投稿者 かめちゃん : 04:52 PM | コメント (0)

2004年02月27日

オウム一色の一日でした

 なんなんだ? 今日はどこのチャンネルもオウム裁判一色じゃないか……ま、しかたないか。日本史上まれにみる凶悪テロ犯罪首謀者とされる被告の(一審)判決が出される日だもんね(というかもう判決出た)。うーん、どうしよう。ちょっとダークな話題だけど、今日はこれしかないのかな。いちおう日記だし。
「この世界で一番大切なのは、ひとの命なのよ」というのは、小さいときに「これでもかっ!」っていうほど、親からたたき込まれた言葉だ。
「この国はね、国民と約束しているの。この国のひとは、ひとりひとり個人として大切にされ、かれらの命や自由、それに幸せを探す権利は、何よりも尊重されるってね(憲法13条)」
「なのに、国に意義申す! ってことで、この13条に反旗を翻したのがオウム事件なのよ……」なんて話す親は、いるのかどうだかわからないけど、この事件は対国民という国家反逆……なんだよねぇ?
 海外ではオウム犯罪はテロと断定して事細かに分析し、国の安全保障に役立てようとしていると聞いている。だけど、オウムはホントに政治目的でこんなこと起こしたのだろうか? この長い年月をかけた裁判で、いったいなにがわかったんだろう。
 いや、なにも……。
 どうも被害者の方々の話を聞く限り、なにもわからず、怒りとむなしさだけが残っているような感じなのだ。たとえ極刑という判決が出されたとしても、「この事件はいったいなんだったのか?」それがわからなければ、被害者が癒される日はこないだろう。いや、被害者だけじゃない。だれもがこの犯罪に巻き込まれた可能性があるのだから、二度と起きないようにするために、なにがなんでも、真相を明らかにしてくれなくちゃ困る。
 話は変わるが、精神科医の香山リカ氏が『創』(2004.3月号)のコラムで芥川賞作家(若い女性ふたりね)のインタビュー記事からある問題提起をしていた。彼女たちは、ふたりして、こんなことを言っていたというのだ。
「ほんの些細なことがきっかけで、もうそんな世界にいたくない、明るいものの届かない影になってしまいたいと思う時があるんです」「今の若い世代にとって現実とはそれほど生きづらく、かと言って離れることもつかまえることもできない何ものかなんです」
 つまり若者たちの中に「この社会は生きづらい」と感じるなにかがあるということだ。これはいったいどういうことなんだろうと、香山氏も首をひねっている。
 これも関係ないように思うかも知れないけれど、食物アレルギーを持つ子供が増えているという現象も、最近、気になっている。アレルギーというのは身体に異物が入ってきたときに排除しようとして現れる症状だ。受容できない異物が増えてしまったってことは、イコール受容できるものの範囲が狭まってしまったってことになる。この身体の拒否反応(という現象ね)が、いまの社会を暗示しているようで、なんとなく不思議なんだよね。
 いまはすっかり更地と化した美しい富士山麓の村の一角。かつてそこに、「この社会は生きづらい」と感じた若者たちが、自分が受容できるなにかを探して集まっていた。そして同じ価値観(彼等にとっては絶対的な)を抱く仲間たちのなかで「生きやすさ」を見いだしていた……のかも知れない。違う価値観という異物を排除することで得る居心地のよさ。だけど、こんな狭い地球、否、日本の中で、そんな都合のいい居場所を確保できるわけがない。
 イスラエルはパレスチナという異物を排除するために、現在、大きな壁を築いている。これも大きな意味では「生きやすさ」という居場所をめぐっての対立じゃなかろうか。「他者(異物)と共存するよりは消去(殲滅)。だけど、それが非難されるなら壁を作って断絶するしかない」……(他の意図があるとしても)たいがい、そんなとこなんだろう。
 今日の報道はオウム一色。その情報の嵐を観ていて、なんとなく次の言葉がよぎったよ。
「人間集団をひとつにつなぎとめるのは、メンバーの間に生まれる感情の絆、一体感なのです」(『ヒトはなぜ戦争をするのか~アインシュタインとフロイトの往復書簡』のフロイトの言葉)……どのチャンネルも同じ情報を大量流出する目的は「日本人よ、心をひとつにしてテロ集団を許すな!」ってことなんだろうか? いや、ただの視聴率狙い……だろうな。

投稿者 かめちゃん : 04:50 PM | コメント (0)

2004年02月25日

名前の見える商品

 映画が終わった後のエンドロール。最後までちゃんと観てから席を立つひとはけっこう多い。「暗いうちは立たないの!」というマナーからかも知れないけれど、流れ続ける個人や団体の名前を追いながら「これだけのひとが関わってるんだ」と制作者に敬意を抱いて席を立たないひとも少なくあるまい。
 映画や番組、本や雑誌などの著作物には、表に出てこないスタッフの名前も刻まれていることが多い。商品を買う側にしてみれば、キャストや著作者には興味があっても、照明や音響、編集者が誰であろうがどうでもいいことだ。だけど、制作側では「これだけのスタッフが集まらなければできなかった作品」ということで、個人に敬意をはらい、名前を表に出す伝統があるんだろう。
 いま、目の前には商品が山になっている。パソコン、時計、ティッシュペーパーなどなど。企業名すらわからない商品もあるけれど、誰が作ったなんてことは意識することすらない。だけど、そこには著作物同様、多くのスタッフが関わっているのは確かだよね。
 そんなことを、企業内発明家の訴訟が相次いで勝訴しているニュースを観て考えていたんだ。青色発光ダイオードで200億円の対価を認められた中村氏に続き、昨日は人口甘味料の成瀬氏に「1億9000万円也!」との判決が出された。金額が膨大なためにニュースになっているけれど、企業内発明家たちがお世話になった会社相手に訴訟を起こす動機は「相応の評価や敬意」を求めてのことだったのではないだろうか。
 自分が関わった仕事に「名前を刻む」という行為。「会社が公にしてくれないなら、こっそりやっちゃうもんね」ということから生まれたのかどうかはわからないけれど、パソコンのソフトウェアには「イースターエッグ」と呼ばれる「隠しトリック」がプログラムされていることがままある。昔のMicrosoftやAdobe製品には必ず仕組まれていた(最新バージョンではわからないけどね)。それは簡単なゲームや、ゴジラのイラストが出てくるだけとか「意味のない遊び」もあるけれど、圧倒的に多いのが、開発に携わった人々のスタッフロールを隠しておくことなのだ。

 たとえば、InternetExplore6(Windowsね)のスタッフロール(?関係なさそうな名前もあるが……)はこんなところに隠されている。
1.「ヘルプ」→「バージョン情報」をクリック
2.一番したのCopyright~の最後の行、「Acknowledgements」を
クリック
どう? 小さなウィンドウが出てきて、スタッフロールムービーが流れるでしょう?

もうひとつ。これはスタッフロールじゃなくて、ミニゲームができるgoogleサイトのイースターエッグ。
1.http://www.google.co.jp/にアクセスする
2.検索バーに easter eggs google と入力する
3.「I'm feeling Lucky」ボタンをクリックする
すると、かごを持ったウサギのイラストが出てきてゲーム開始! マウスを左右に動かすとウサギが左右に動くので、上から落ちてくる風船を「GOOGLE」の順にかごに入れましょう! 

 ついでにgoogleの「I'm feeling Lucky」から行ける痛烈なパロディも紹介*
1.http://www.google.co.jp/にアクセスする
2.検索バーに Weapons of mass destruction と入力する(意味は「大量破壊兵器」)
3.「I'm feeling Lucky」ボタンをクリックする
すると、よくあるエラーメッセージ画面がでてくる。英文だけど、よく読むとすごいことが書いてある。
「大量破壊兵器を表示できません」
「検索中の大量破壊兵器は現在、利用できません。国に技術的な問題が発生しているか、視察官の指令を調整する必要があります」
……
……(英語にめげて中略)
で、最後の爆弾マークの行は
「あなたがドナルド・ラムズフェルドなら爆弾ボタンを押してください」……ブラック~。しかも、ボタンのリンク先はキューブリックの映画(DVD)『博士の異常な愛情~またはいかにして私は心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』だったりする。
 あれ? なんだか表題と話がズレちゃったので、今日はここまで!

投稿者 かめちゃん : 04:48 PM | コメント (0)

2004年02月24日

新聞御免!

 忙しい時間帯に、突然「ピンポ~ン」と玄関のチャイムが鳴ることほどわずらわしいことはない。で、インターフォンに出てみると
「○○新聞です。新聞変えませんか?」
 とくる。
「新聞御免!」と早々に斬って……じゃなくて、切ってしまうんだけど、ときどき「ウチ新聞とってませんから」と丁寧に断ろうとすると「えーっ? 新聞読まないんですかぁ?」と小馬鹿にしたような声が返ってくるのだ。こやつ「新聞を読まない=社会人失格」という図式がいまだ成り立っているとでも思っているのか? と思うんだが……え? 成り立っている? ホントに?
「ニュースならテレビやインターネットで拾えるからね」というのはどうも説得力がないらしい。どういう理由で新聞が支持されているのだろう。ってことで、日本新聞社協会(http://www.readme-press.com/)のアンケートに寄せられた「新聞を読む派」のひとびとのコメントを読んでみた。で、だいたいこんなことらしい。
1.新聞はテレビやネットより正確で信頼性がある。
2.新聞はテレビがとりあげない小さな記事も載っている。
3.新聞は一覧性にすぐれている=必要な情報にさっと目を通せる。
4.新聞は自分の興味のない情報も得ることができる。
 なるほど。2番から4番はなっとくできるが、1番はそうかなぁ? と首を傾げてしまう。でもまあ「新聞読む派」のひとびとは、新聞だけでなくテレビもネットもよく観ているようだ。決して新聞 vs テレビ、ネットってことではないらしい。テレビやネットだけが情報源というひとは、まだ少数派のようだけどね。
 ぼくはテレビとネットと、そして本や雑誌(定期購読している雑誌はないけど)かな。とくにネットはメールマガジンに頼ることが多い。それぞれの分野で活動している人々の生のレポートだ。これだけで十分だと思うんだが、それでも新聞は読んだほうがいいのだろうか。
 上記アンケートの新聞読む派のひとびとの多くは「一紙だけ読んでいてはダメ! 最低、二紙は読まねばなるまい」と書いている。つまり、情報はバランスよく仕入れなければならないってことだ。だけど、この手のアンケートに答えるひとが、たまたまそういう意識が高いだけのような気もする。一般家庭では、たいていは一紙でしょう(会社で他紙も読んでるもん、というひとはおいといて)。もし、とってる新聞の情報(解説、解釈)だけで、新聞は正確で信頼性があると捉えていたとしたら、そのほうが「新聞読まない派」のひとびとより危うくないかい?
 いやこれは「テレビだけ派」のひとびとにも言えることだ。テレビの情報番組は、毎度おなじみのコメンテーターばかりが顔をそろえ、まるで彼等のお説教を聞いているみたいだ。しかも「専門家」と名がつくと、たちまち「正確+信頼性」に直結してしまう。おまけに、どこかの局で登場した専門家の先生は、他局でも登場するようになり、雑誌にまで広がる。あげくの果てには国会議員になったり大臣になったりもする……嗚呼、神よ。
 新聞やテレビに出ている専門家の話だけでなく、友人、知人、無名の人々の声の中にも信頼できる確かな情報はたくさんある(そっちのほうが信頼できたりする場合もあるし……内部の声は強し!)。ま、中には信頼性ゼロの大ウソ、偏見、思いこみもあったりするけど、それもまた、人間という情報のひとつなのだ(騙されたときの開き直り方法=勉強させてもらいました、ってやつね)。
 良くも悪くも情報は操作されやすいもの。「新聞を読まない=社会人失格」という本当の意味は「情報を自分で判断する力のないひと=社会人失格」ではないのかな? 新聞はその力をつけるためのひとつのアイテムってだけで、必要を感じていないひとは、それでいいんではないだろうか。ちなみに、ウチが新聞をとらない理由は購読料が高いから! ……これでしょう。

投稿者 かめちゃん : 04:46 PM | コメント (0)