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かめちゃんのBlog

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2004年03月01日

話題の芥川賞作品を読む(2)

 今日、アカデミー賞授与式があった。で、その第一報「渡辺謙さん、残念ながら受賞できませんでした」----以上。
 おい、こら、誰がとったんだよ。作品賞はなんだったんだよ! と抗議してもそれ以上の話が聞けなかった。日本人の興味は「日本人が賞をとるか」だけだと思っているらしい。『ラストサムライ』を観ていないのでなんとも言えないが、テレビのコメンテーターが、さも自分が賞を逃したように残念がっている姿には、ちと違和感を覚えた。それが「あんなすばらしい演技だったのに」というものであるならしっくりしただろう。だが違う。ただ「日本人がとれなかった」というのを残念がっているのだ。
「同じ日本人を応援するのはあたりまえじゃん」というのが、どうもわからない。知り合いならまだしも、会ったことないし。作品観てないし。
 で、そんなテレビを消して『蹴りたい背中』を読んだ。あ、同じだ。アカデミー賞の報道に感じた不可解さと同じような感覚が書かれていたのだ。つまり、彼女の言う「生きづらさ」は、「みんな一緒の島国コミュニケーション」不全だ。
 主人公・ハツは、クラスに馴染めない、ちょっと近寄りがたい女の子。彼女はクラスで決まった者同士(=友人)が群をなし、同調しあうのを嫌悪している。だけど、クラスのひとたちからどう思われているのか気にし、孤独であることにも苦痛を感じている。
 ストーリーは同じくクラスに馴染めない男の子(だけど、こっちは他人の目など気にしないで自分の趣味というか妄想にどっぷり浸かっている)との微妙な関係を描き出したものだが、そんな関係はおいといて、彼女のこの「同調するのはイヤだけど、仲間外れにされるのは辛い」という感覚は、現代の若者だけが抱えている「生きづらさ」ではないだろう。
 グループのリーダー(強い勢力)に同調していれば身の安全は保証されるという教えは、「和」の国日本の「和」を保つためのひとつの手段だ。刃向かって村八分にされたら、それこそ生きていけなかったのだから。その恐怖のDNAは、現代の若者の代にまで、しっかり受け継がれているってことが、この作品を読んでわかった。
 これ、自己主張バリバリがあたりまえの欧米、中国、韓国のひとたちに読ませたら、いったいどういう感想が返ってくるだろう。「彼女のクラスは特殊なんじゃないだろうか」と思わないだろうか。「自己主張より同調することが大切という、こんなクラスにいたら、そりゃあ、生きづらいよね」とでも言うんじゃないだろうか。「日本の学校のクラスなんてほとんどみんなコレだよ」と教えてあげたら「日本は生きづらい」って思うかも知れない。
 スマップの『世界で一つだけの花』がバカ売れし「みんな違うのはあたりまえ」で合意していながら、なおもひとと違うと悩む日本人。そんな「村八孤独」を淡々と描いた作品が、芥川賞をとった。世界的な文学アカデミー賞なるものがあったら(ノーベル賞か?)この作品はノミネートされないだろう。この苦悩は日本人にしかわからない、日本人のための作品だ。

蹴りたい背中
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投稿者 かめちゃん : March 1, 2004 05:02 PM

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