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かめちゃんのBlog

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2004年03月08日

自らの責任?

 子どもの頃、親からはよく「人様に迷惑をかけるようなことだけはしてくれるな」と言われた。生きていく上で、一番やっちゃいけないこと=悪いことは「他人に迷惑をかけること」だと言いたかったんだと思う。
「他人じゃなく、親ならいいのかい」ってことではないが、親には迷惑をいっぱいかけた。だけど、他人にもやっぱり迷惑をかけた(かけてる……進行中)。とはいえ、こっちだって親にも他人にも迷惑をかけられた(かけられてる……進行中。親にはかけてるだけか)。ただ、お互いに、それが「迷惑」だと自覚していない場合が多かったりするから「迷惑なら迷惑ってちゃんと言ってくんなきゃ、迷惑かけたくなくてもかけてしまう」ってことになる。ま、世の中、そんなもんだろう。
 今朝、鳥インフルエンザの報告を遅らせ、被害拡大を招いたとされる浅田農産の会長夫妻が亡くなったというニュースが飛び込んできた。たぶん自殺ではないかということだ。もし、自殺であるとすれば「死んでお詫びを」と自ら責任をとろうとしたのだろう。息子の社長は「司法の場で(責任を)明らかにする」と言っていたのに、なんで早まってしまったんだろう。とても残念だ。
 昨日の記者会見の映像を観ると、弁護士らしき人は同席していないようだった(いや、いたらしいがほとんどしゃべっていない……というか、弁護士のしゃべる映像は見ていない)。責任者が自らの言葉で話すことは重要だけど、公の場でしゃべり慣れていない人ならば、冷静にきちんと話ができる代理人を置くべきだろう。「世間」というのは容赦ない。自己防衛のための威勢や正直な言葉(本音)は「開き直り」「不誠実」ととられ、どんどんマイナスイメージが広がり、やった行為にではなく、やった人物に悪いレッテルを貼ってしまう。追い込まれた人が醜態を曝してしまうことはよくあることだ。そういう状況から読みとれる真実は、そう多くはないと思う。
 この国では、いまだ世間という圧力が、法よりも威力を発揮しているように思える。そして、自らの意志で責任を果たすということが「いさぎよし」とする空気がある。自殺、辞任、退社、脱退……つまり「世間」から消えるということが、責任を果たすということのように。
 司馬遼太郎氏とドナルド・キーン氏の対談本『日本人と日本文化』の中に、こんな記述がある。
 徳川初期に朝鮮からきた通信使が日本の漢学者に「あなたの国は警察がなくてもすむそうですね」と言った。漢学者は「それはどういうことですか」と聞くと「警官が行くより前に自殺しているそうですね」と。
 漢学者は「それは(はずかしめを受けることを恥とする)薩摩だけの習慣です」と答えたと続くが、このやりとりに対し司馬氏は「これは日本人の原型ではないか」とキーン氏に言っている。
 いまの日本人にもこういう心理はあるのではないかと思う。社会(世間)から非難されると「死んだほうがマシだ」という気分になるだろうということは、容易に想像できる。また、死刑が最高刑のこの国では、「死で償う」というのが最大の詫びという困った思い込みもあるのだろう。
 サスペンスドラマにも、犯人は最後に自白して、捕まる前に死んでしまうというストーリーをよく見かける。死んで終わり。それが同情できるタイプの犯人だった場合、その死は美化されたりもする。武士の時代ならいざ知らず、現代劇でこれはないだろう。現代劇なら、法に審判を委ねるというのが「いさぎよし」でなくちゃならないはずだ(え? そんなドラマ、観たくない?)
 確か、この国は法治国家なはずだ。ならば、たとえ自ら過ちを認めたとしても、それを裁く権利は本人にはないはずだよね? まして、世間にもない……といっても、裁判になれば、金はかかるし、時間はかかるし、その間、世間からは冷たくあしらわれるし……ってことでやんなっちゃうんだろう。だから「自ら責任をとる!」ってことに傾いてしまう。また、そのほうが世間ウケがいい。この国はまだまだ、世間治国家なのだろう。
 世間様に迷惑をかけたくてかける人は少ない。だけど、かけてしまったら最後、相当の覚悟がなければ闘えない。だけど、それでも闘って欲しいのだ。それが現代の「いさぎよし!」だと信じたいからね。
 あ、そういえば、カラスからウイルス出てしまったようですな。ウチの近所のカラスどもは、今朝も3時頃からカーカー鳴きだし健在だけどね。

投稿者 かめちゃん : March 8, 2004 05:11 PM

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