MENU
カメちゃんのお出かけ帳

チームマイナス6パーセント

かめちゃんのBlog

« 眠れる夜のコーヒー | メイン | 安かろう、おかしかろう »

2004年04月22日

ペット・クローニング

 一週間ほど前のニュースだが、クローン猫の販売が始まるそうだ。
 そんな神をも恐れぬことを考えたのは、アメリカ、サンフランシスコのジェネティック・セービング&クローン社である。なんでも、生きてる猫はもちろん、死んでしまった猫からもクローンを作れるというのだから、愛しのペットを亡くしてしまった飼い主にとっては朗報? ……さて、どうだろう。
 お値段は約5万ドルというから、今日のレートでいけば約540万円也。現在、8匹分が予約済みだそうだ。よーし、今からでも遅くない! カメちゃんの遺骨を持ってすれば……あ、猫じゃなかった。それに、そんな金あるか!
 昔、大切にしていた陶器のパンダの人形を割ってしまい、だだをこねた。「同じものを買ってあげるから!」と買ってもらったものの、名前は違う名前をつけた覚えがある。いくら同じモノであっても、それは別モノという意識が子どもにだってある。「吉野屋の牛丼は、どの店で食べても同じ」というのとは違うのである。
 遺伝子はまったく同じで、姿形、性格もうりふたつ。もし、夜中にこっそり、愛しのペットをそんなクローンとすり替えられてしまったとして、さて、その違いに気づく自信はあるだろうか。もし気づかずに数年たち、クローンのペットが天に召されたとする。そして、唐突に、ペットをすり替えた人物が現れ「こちらがあなたのペットのオリジナルですよ」と言われたら、さて、どう反応するだろう。「よかった、帰ってきた!」と思うだろうか、それともクローンにも、オリジナルにも、それぞれに同じ愛情を抱き、双子の兄弟が帰ってきたような感覚になるのだろうか(いや、たぶん最初に、その人物をぶん殴るんじゃなかろうか)。
 クローンの問題は、21世紀の倫理のありかたの問題に重なる。「命をビジネスにするなんて言語道断!」と非難するのはけっこう。だけどそれだけでは、このようなビジネスを止めることはできないだろう。たぶん、今世紀中には、「死んでしまった家族のクローンを創ります」という企業も現れるに違いない。法的には禁止されていようとも、需要がある限り、歯止めは利かないものだ。
 家族ではなく、自分に当てはめてみよう。もし、自分の命があと1ヶ月と告知されたとして、自分のクローンを創りたいと思うだろうか。たぶん、思わない。いくらクローンが、自分の遺伝子を100%受け継いでいようとも、肝心なものが違うからだ。
 肝心なもの----「自我(主体としての意識)」だ。
 クローンの自分が考えていることは、ほとんどわかるかも知れない(なにせ同じ遺伝子だから行動パターンも同じになるだろう)。だけど、「クローンの自分として」考えることはできないのだ。いや、見ることも聞くことも話すこともできない。自我だけは、この世にたったひとつだけしか生まれないのである。いくら自分のクローンを創っても、それは「いちばん近い他人」でしかない。
 愛しい家族やペットの死は辛い。だけど、そのクローンを望むということは、家族やペットの自我を否定することになる。アメリカ牛の輸入が解禁になり、吉野屋に昔と変わらぬ牛丼が戻ってくるのとは、違うのである。

投稿者 かめちゃん : April 22, 2004 06:37 PM

コメント


コメント用ボックス

コメントをお寄せくださる際は、お名前(必須)、メールアドレス(必須)、URLをご記入ください。




保存しますか?