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カメちゃんのお出かけ帳

チームマイナス6パーセント

かめちゃんのBlog

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2004年04月30日

素朴な疑問

 今日は1日かけて部屋の模様替えをしたのだが、あまりに重いモニタを何度も持ち上げたせいだろう、めちゃくちゃ疲れた。で、どうも日記を書く気力が……ってことで、今日はごくごく簡単に。
 昨日のバスの中の続きだが、おじさんの白髪混じりの髪を見てふと思った。
 ----動物って白髪にならないんだろうか?
 白髪は髪に色をつけるメラニンがつくれなくなるために起きる現象だが、その最大の原因は老化だ。年を取れば白髪になるか、抜けるかなのだ。
 それってヒトだけに起きることなんだろうか。
 母親モルのマリーは5歳を過ぎている。モルモットの寿命は文献によって違うのでよくわからないが、中年の域は超えていることは確かだろう。ちなみに、寿命として一番多くあげられている年は、5~6年。しかし、10年生きると書いてあるものもあるし、3年と書いてあるものもある。まあ、考えてみれば、人間だって国が違えば寿命も違う。前にその話は書いたけど、30代が寿命とされる国だってあるのだ。だからモルの寿命は3年から10年(幅ありすぎだが)で納得するしかない。
 で、マリーは白と黒と茶色の3色なんだが、5歳を過ぎてもその比率は変わらない。年をとってんだかとっていないんだか、見た目ではさっぱりだ。ヒトだったら、35歳頃から黒い毛に白いものがボツボツ見えてくるらしいのだが、なんでモルはそうならないんだろう……不思議だ。
 ってことで、疲れて眠くて頭がまわらないので今日はこのへんで。答えはきっと、忘れた頃にやってくる……たぶん。

投稿者 かめちゃん : 06:47 PM | コメント (0)

2004年04月29日

ある休日のバスの風景

 バスの中。なんだか、今日は客層が違う……と思いきや、世の中、ゴールデンウィークなのである。
 ターミナル駅へと向かう市営バスの中、いつもなら幼子を連れた若い主婦や、買い物に向かう年配の女性たちが主役となるのだが、今日は違う。お・じ・さ・んが目立つのだ。
 なんだろう。ゴールデンウィークなのに、家族サービスをするどころか「どこかで遊んできてちょうだい!」と家をおんだされたお父さんたちだろうか。手ぶらでサンダルをひっかけて、文庫本を読んでいたり、ぼーっとしていたり……。
 そんな中、目の前に立った40代と思われるひげズラのおじさんは、いきなり紫色の携帯電話を取り出すと、カチャカチャやりだした。メールを打っているというよりは、ゲームにいそしんでいるような手さばきだ。で、その紫色の携帯には、なんとキティちゃんのストラップがぶらさがっている。
「え? キティちゃん?」
 ひげズラのおじさんとキティちゃん……。あわない。なんでこの顔でキティちゃん……。いや、ヒトの趣味にケチをつけちゃいけない。そんなこと言ったら、ぼくのストラップのおじゃる丸だって(もらいものだぃ)……と、そんなことを考えていたら、いきなりピーヒャラピーヒャラと誰かの携帯電話がでかい音で鳴り出した。
「まったく! マナーモードにしておけよ。どうせ若い連中が……」と思いきや、その電話をとったのは、シルバーシートに座っていた80代と思われるおばあちゃんだったのだ。そしてこれまたでかい声で「いま、バスの中だよ! 10分後にかけ直してしておくれ!」と叫んだのだ。
 いや、びっくり。今は本当に小学生からお年寄りまで、国民総携帯時代のようである。
 以前、別のバスの中で、ちょっと携帯を鳴らした若い女の子に「バスの中だぞ! 運転主さんに失礼だろ!」と、注意というよりイヤミを言っていたオヤジさんを見たことがあるが、もし、そのオヤジさんがこのバスに乗り合わせていたら、このおばあちゃんにも同じことを言えただろうか?
 そういえば昔、まだ時代はポケベルだった頃、電車の中でいきなり電話が鳴り、それに出た若い営業マン風の男が車内に向かって大声でこう言ったのを思い出す。
「すみません! これから電話に出ます。ご迷惑をおかけします!」
 なんか、あまりにさわやかだったもので、「どーぞ、どーぞ」ってな雰囲気だった。まだ車内の携帯はルール違反という認識がなかった頃ではあるが、ちゃんと断ってくれれば、イヤな思いはしないものである。
 スペインのバスの中では、やたらと話しかけてくるヒトがいた。歌を歌い出す連中までいた。だけど、やっぱりイヤな思いはしなかった。それは乗り合わせただけの見ず知らずの他人に対し、他人様には関わらないと無関心でいるか、それとも、せっかく乗り合わせたバスの中のひとときの仲間ととるかの違いのような気がする。
 携帯電話だけじゃない。幼子を連れた若いお母さんは、赤ちゃんが泣いていても、子どもが大声でしゃべっていても平気でいる。バスに乗り合わせた人々も「しかたがないこと」と思っているのだろうが、けっこう、イライラするものである。そのイライラは子どもの声にというよりは、なんで平気でいられるのか、その母親に対してだったりするのだ。
 ただひとこと、「子どもがうるさくてご迷惑かけます」と車内の他者たちに断ってくれれば「どーぞ、どーぞ、大変ですねぇ」という気持ちになると思うのに。
 ゴールデンウィーク初日のバスの中。おじさんたちはどこへ向かうんだろう。誰もが黙ったまま、自分の行く先以外は関心がないようである。

投稿者 かめちゃん : 06:46 PM | コメント (0)

2004年04月28日

無駄の意味

 子どもの頃、ごはんを残すと「もったいないでしょ!」とよく怒られた。
「なんでもったいないの? 身体に入る食べ物もゴミとして捨てられる食べ物も、分解されて別の物質になるだけなんだから、かわりないじゃん」と、まじめにそう思っていた。
 今日、鳥インフルエンザで処分された鶏たち(なんと25万羽!)の供養祭が行われたというニュース記事を読んだ。場所は都内の某ホテル。養鶏団体を中心に出席者多数。その中には農水大臣も含まれていた。
 25万羽とは恐れ入ったが、ホテルを借りての供養祭にも驚いた。鶏肉業者は肉をさばいてなんぼの商売をしているのではないのか? 商品となった鶏たちの立場は? いや、知られていないだけで、そんな鶏たちのためにも供養祭はやっているのかも知れない。製薬会社の敷地内には、実験台にされた動物たちの慰霊碑があると聞いたこともあるし。だけど、大臣まで呼んでの大々的な慰霊祭は、どう考えても異例だろう。
 で、ふと「もったいないでしょ!」という母親の言葉を思い出したのだ。なるほど、ヒトは「無駄になること」が嫌いなのだなぁと。たぶん、無駄なことには意味がないと感じるからだろう。
 ヒトの血となり肉となるための鶏の死には意味がある。だけど本来の目的にかなわなかった死には、意味を見いだせないのではなかろうか。そのため、手間暇かけて育てた鶏たちが、まさに無駄死にしてしまったということには、耐えられない苦痛があるのだろう。
「もったいないでしょ!」の母親の言葉にも、無駄に捨てなければならないということ以上に「手間暇かけて料理をしたあたしの努力を無駄にする気か!」という怒りが込められていたに違いない。
 それにしても、どうして「無駄」ということには意味を見いだせないのだろう。アリやハチの世界にも、仕事をさぼって遊んでいるヤツが必ず数匹いるという話を聞いたことがある。秩序を乱し、ブラブラとなにもしていないように見えるアリやハチは、アリ社会、ハチ社会のお荷物なのかも知れない。だけど、そいつらは本当に意味のないことをしているんだろうか。昆虫博士じゃないので、ぜんぜんわからんのだが(たぶん、昆虫博士にも謎だろう)、少なくとも、そんなお荷物な連中も含めて、アリ社会、ハチ社会のシステムが成り立っていることは確かである。
 養鶏場の方々の場合は無駄というより「無益」といったほうがいいだろう。だとすれば、「無益に意味を見いだせるか! これはシステムの破綻だ!」とお怒りになるのは当然だ。しかも、この騒動では無益どころか損失も大きかったに違いない。
 それではなぜ、彼等はそんな無駄死にをし、損失を与えた鶏たちのために、慰霊祭を行ったのだろう。彼らだって犠牲者なのだという純粋な気持ちからだろうか。それとも、「無駄な死を無駄にしないための誓い」なのだろうか。死を悼み、祈ることで、犠牲となった鶏たちに意味を与えるためだろうか。
 人生振り返ってみれば、無駄なことばかりしてきたなぁ、と思えなくもない。だけどそれは、本来の目的からズレちゃった行為に対してそう思うだけで、その無駄なことすべてが「いま」につながっているのである。
「あのショップにかわいいモルモットいっぱいいたよ!」と聞き、電車を乗り継ぎ行ってみたら、モルモットじゃなくハムスターだったという無駄足も(あれはむなしかったが)、「いま」につながる意味を見いだそうと思えば見いだせる。
 数週間前の日記のネタになった警察署のへなちょこ文字の看板を見たのはそのときだったのだ。その無駄足がなければ、あのへなちょこ文字には出会えなかった。
 ……で? それのどこが意味があるわけ? と聞かれれば、「う~ん」と、また意味をひねり出さなきゃいけないんだが、ああ、そうそう、あった、あった。人質になった方々のメッセージの文字(帰りの機内で書いたという手紙)に対し、某テレビ番組のコメンテーターが「文字を見ても稚拙だとわかる」とコメントしていたのを聞き「文字で判断するなら、あのへなちょこ看板を書いた警察官も稚拙なのかい!」と怒り爆発したんだった。
 ……で? それのどこが意味があるわけ? とまたまた聞かれれば、ええっと……。

投稿者 かめちゃん : 06:44 PM | コメント (0)

2004年04月27日

強風の日には

 なんなんだ、今日の風は。台風なんて目じゃないほどの強風が、バルコニーのプランターを瞬く間になぎ倒してしまったではないか。
 ま、この風じゃあ、どうせまた起こしてもすぐに倒れるだろうな……ってことで、そのまま放置してあるのだが、いったい、いつになったら止むのやら。
 しかしまあ、もったいない。ここに風力発電機があれば、少しは電気が作れたのではあるまいか? と、最近、強い風が我が領地であるバルコニーを横暴な態度で通り過ぎる度に思うのである。
 というのも……
 お台場にあるパナソニックセンターで見た『風かもめ』という風車と太陽光パネルと監視カメラと照明がセットになってる発電システム機を見てから、「あれ、ウチのバルコニーにもほしい!」と(買えるはずも、設置できるはずもないのに)思っているからである。
 従来の風力発電機といえば、白い羽根を持った背の高い無機質な風車しか思い浮かばなかった。お台場の海にもポツネンと1基立っていたが、ちょっと浮いた感じがしてしまうのだ。デンマークのように、青い海に白い風車がずらりと並んでいるのをみれば、それはそれで美しさも感じるが(って、写真で見ただけだけどさ)、1,2基立っているだけだと、どうも「じゃま!」って感じが先行してしまう。
 そ・れ・が・だ。台場のセンターで見た『風かもめ』は、街灯のような自然な形をしていて美しいのだ。風を受ける羽根は、扇風機みたいなヨコ広がりではなく、2枚の羽根が、DNAのらせんみたいにねじれて、細い2本のポールの間に納まっている。その上部には太陽光パネルが1枚あり、羽根の下には、カメラの入ったカプセルが設置されていて、そこに照明もついている。
 たぶん数年後には、『風かもめ』を張り巡らせたマンションも売り出されるんじゃないだろうか。ま、1基いくらするのか知らないので、それだけで億ションになるかも知れないが。
 それに、電力がどのくらい作れるのか肝心なこともよくわかっていない(イメージに騙されやすいタイプですな)。あの風力発電王国のデンマークですら、風力による供給は、まだ16%ぐらいだそうだ。
 まあ、ともあれ、黒い水をめぐって戦争するのは、今世紀前半ぐらいでやめてもらえるよう、新しいエネルギーに期待したいものだ。

投稿者 かめちゃん : 06:43 PM | コメント (0)

2004年04月26日

ネットなひとたち

 ネット上では、blogというのが流行っているようである。
 blogってなに? いや、実はよくわかっていないのだが、ネットで知りたい情報を検索すると、やたらとblogのシステムを使ったサイトに出会うのである。
 blogは掲示板に似ているんだが、微妙に違う。一番の違いは、cgiだのphpだの知らなくても、誰でも簡単にweb上で記録を残せるってことのようだ。いうなれば、第三者がコメントをつけられる日記システムみたいなもんだ。
 ただ「おお、これは便利だな」と思ったのが、トラックバックという機能である。掲示板だと、関連リンクで別のサイトのURLを紹介したりするが、blogだと、同じテーマや関連したテーマにコメントしている別のblogサイトに連動させることができたりするのだ。
 ま、つまりは、ひとつのテーマについて、いろんなヒトの意見や情報を、手っ取り早く集めることができるってことなのだ。
 実はこの2週間ほど、テレビでニュースや報道番組を見る回数が極度に減っている。なんというか、イヤになったのだ。どの番組を見ても、ソースは同じ、論調もほぼ同じ。おまけにコメンテーターの顔ぶれも同じ。ばからしくもなるわな。
 ってことで、ゴールデンタイムですらテレビを消していたりするんだが、かわりにパソコンが、朝から晩までついている。
 ニュースは大手マスコミのサイトから、ヘッドラインだけを拾い、その解説にはネット検索していくつか拾い読みする。その検索に、とにかくblogサイトがひっかかるのだ。
 専門家のサイトもあれば、名もない一個人のサイトもあるんだが(そのほうがよっぽど多い)、テレビでエラソーに解説しているヒトたちよりも、よほど分析力のあるヒトもいたりする。「おかしいぞ、それは!」なんて思えば、意見することもできる。海外からのご意見も、翻訳して解説してくれているところもある。
 まあ、なんというか、腹が立つ意見から感動すら覚える意見まで、ともかく多様性に富んでいるのである。
 昨日の日記で、いまは小学校でもパソコンを教えていると聞いて驚いたと書いたわけだが、たぶん、この子たちが「社会にもの申す」ようになる頃には、仲良しクラブのマスコミ体質も、変わらざるを得なくなるんだろう。これからの情報収集の中心は、テレビからネットに移るんじゃないだろうか、となんとなく思うのである。
 ということで、この日記もblogにしよっかなぁ~、と思ったんだけど、面倒なのでやめた。というより、この日記システムのスクリプト、よくできているのだ。いまさらながら、akiさんに感謝である。
 blogもそうだが、cgiもphpもわからなくても、akiさんのような開発者の方々のおかげで、こうしてフツーのヒトビトが、web上で記録を残し、意見し、議論できる時代になったのだ。これがホントの市民社会ってもんなのかねぇ~と思いつつ「国民年金、もう払うもんか!」と旬なニュースに憤る……。話題になるニュースはテレビだろうがネットだろうが、あまり変わらんのだがな。

投稿者 かめちゃん : 06:42 PM | コメント (0)