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かめちゃんのBlog

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2004年06月01日

命や心の教育?

 イラク戦争を支持した大人たちが、子どもが犯した犯罪に対し「痛ましい」「命の大切さ、心の教育をしなければならない」と口をそろえている。イラクで人質になったヒトビトをめぐり、「いまの時代は、人の命は地球よりも重いとは言えない」と言ったジャーナリストもいたけれど、このヒトたちは、いったい、子どもたちに、どのような言葉で「命の大切さ」を教えるつもりなのだろう。
 子どもによる殺傷事件が起きると、すぐに「(学校)教育が悪い!」「少年法改正を!」という話題が沸騰する。これから数日間、TVはこの話題を引っ張るんだろうな。
 記憶がないだけかも知れないけれど、学校で「命はこれこれこういう意味で大切だ」と教わった覚えがない。もちろん、暗記科目のように「命は大切だ」を何度も復唱し、覚えさせられた覚えもない。だからといって、命の大切さがわかっていないかと言うと、そんなことはない。たぶん、どんなに子どもでも、どんな凶悪な犯罪を犯したヒトでも、命は大切だということはわかっていると思うのだ。犯行に及んでしまうのは、命を粗末にしている、軽く考えているというところにあるのではなく、衝動にまかせて行動してしまう自分がおさえられないことと、自分の行動がどのような結果を招くか、その想像力が足りないせいではないかと思うのだが、違うだろうか?
 小さいときに読んだ童話で、いまだに忘れられない話がある。いや、ストーリー自体は忘れているし、タイトルすら思い出せないのだが、ラストシーンだけ、鮮明に覚えているのだ。
 それは空を飛ぶことにあこがれている亀に、親切な鳥が「わたしがあなたを空へ運んであげよう」と提案する。亀は喜んでその申し出を受ける。そして、鳥は両足でしっかり、亀をつかまえて空へと舞い上がる。亀は初めて観る景色に感動する。だけど、最後に鳥は、うっかり亀を落としてしまうのだ。かわいそうに、亀は地面にたたきつけられ、死んでしまう……こんな話だ。
 すごいショックだった。誰も悪くないのに、悲劇が起きてしまう。誰も救われない。もう一度読み返したら、結末が変わっているかも知れないと、2、3度読み返した覚えもある。だけど、結末はやはり悲劇のままだ。
 これを読んで「命は大切なんだ」と思ったわけじゃない。「命ってはかないんだ。誰も悪くないのに、悲劇は起きるんだ。一度起きたら、取り返しがつかないんだ」と「世の無常」「もののあわれ」を何となく、心に刻んだだけだ。だけど、理不尽な悲しい事件が起きる度、この話を思い出してしまう。
 この手の童話は、実はいっぱいある。親切なハエの夫婦の家に、友だちの象の夫婦が訪ねてくる。ハエの夫婦は、自分たちの特等席、先端のとがった細長い棒の上を象の夫婦にすすめる。象の夫婦はありがたくその特等席にすわったのだが、彼らは重すぎて、棒は彼らの身体を突き抜けてしまう。そして、キッチンからご馳走を運んできたハエ夫婦は、象の夫婦が死んでいるのを目にして嘆き悲しむ……というようなお話など。大人は笑い話か?と思うだけでも、子どもはけっこう、ショックを受けるものである。だけど、子どもはそのショックを、命を感じ取る力に変えていく力があるんじゃないかと思うのだ。童話が古今東西、残酷な面を持っているのも、その力を信じているからではないだろうか。
 命の大切さは、教えるものではなく、自然と学んでいけるものだ……と思う。それは「甘い!」と言われるならば、せめて「コマーシャリズムに洗脳された勧善懲悪、ご都合主義のテレビアニメよりも、図書館に行って、童話や小説をいっぱい読め。それにあきたら、虫をつかまえて、友だちと一緒に飼ってみろ」と指導すればいいのではないだろうか。
「命はかけがえのない宝です。だから、ヒトを殺してはいけません」などと、いくら聞こえの良いきれいごとを押しつけても、きれいごとではすまされない大人の世界を知っている子どもたちに、「命」やら「心」やらを本当に理解してもらえるとは思えないのだ。
 この手の問題は、自ら学び自ら考え、そして、納得できたことだけが根付いていく。教育者は、自ら学ぶ方法(力)をアドバイスしてやればいいだけだと思うのだが、きっと「学校教育で国民道徳を!」というマニュアル主義に流れていくんだろうな。

投稿者 かめちゃん : June 1, 2004 12:40 AM

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