MENU
カメちゃんのお出かけ帳

チームマイナス6パーセント

かめちゃんのBlog

« ミーハー立国の首相 | メイン | 日記はお休みです »

2004年07月22日

読書の時間:野沢尚『呼人』の巻

  脚本家で作家の野沢尚氏が命を絶ってから、もうすぐ1ヶ月。すでに世間の関心事リストからは外されてしまったようである。
 ひさしぶりに本屋に寄ったら、文庫本のコーナーで、彼の作品が平積みにされていた。小説は読んだことがなかったので、追悼の意を込めて1冊購入。映画、ドラマになっていない『呼人』という作品を選んだ。1999年の作品。テーマは不老不死だ。
 ストーリーは、12歳で突然、成長が止まってしまった少年=呼人が、自分の出生の秘密と生まれてきたことの意味を、25年の歳月をかけて探り当てていくというもの。実年齢では12歳から37歳までの物語になるけれど、彼は、身も心も12歳のままで止まっている。つまり、12歳から12歳までの、25年間の物語だ。
 彼の止まった時間の中では、普通に歳を重ねていく友人たちの姿が描かれている。野沢氏はその背景に、1985年という確定した時代(過去)から2010年というおぼろげに見える時代(未来)を選んだ。ストーリーには、過去に起きた事件(日航機墜落事故、北朝鮮のミサイル発射実験、オウム事件、爆弾テロなど)と未来に起きる可能性のある事件(大規模な自然破壊、原子炉の爆発事故など)を巧みに絡ませて現実感を演出している。
 さすがにエンターティンメント性は高く、少々、荒唐無稽な記述もあるけれど一気に読めた。命を経つ5年も前に書かれた話だけれど、この時点で、彼はいつ死んでもいいと考えていたような気がした。生きることに絶望していると感じたわけじゃない。むしろ逆だ。生きるってどういうことかを(彼なりに)見つけてしまったんだな、と思ったのだ。
 不老となった12歳の少年は、不死ではない。自分が死を望めばいつでもそれは手に入る。だけど、望まなければ死はやってこない。不慮の事故に遭いさえしなければ、その命は永遠でもある。
 果たしてこの少年は、幸福だろうか。
 いま、生命の危機に脅かされる状況にない普通のヒトビトにとって、死は非常に遠いものだ。いつか来るとわかっていても、実感がない。永遠とは思えなくても、あと何十年かは、人生が続くと思っている。少なくとも明日は生きているだろう。死が遠いということでいえば、みんなこの12歳の少年と同じなのだ。望めばいつでも手に入る。でも望まなければ(なかなか)やってこない。
 この小説に描かれた25年間には、大きな事件がたくさん盛り込まれているけれど、フツーのヒトビトは、フツーにその時代に順応し、フツーに生きている。その間、どんなに環境や生活が変わっても、ヒトビトは「死」を遠くに感じながら、自分を時代にあわせて「フツーさ」を守っている。
 なぜか、主人公や友人たちの自分探しの旅よりも、どんな時代にも順応している養母夫の「フツーっぷり」が気になる小説だった。生きるってことは、ただ、時代に順応していくだけのこと。たとえ命が永遠であっても、同じことだ。エキサイティングなストーリーの裏で、そんなフツーさが淡々と語られていた。

投稿者 かめちゃん : July 22, 2004 10:50 AM

コメント


コメント用ボックス

コメントをお寄せくださる際は、お名前(必須)、メールアドレス(必須)、URLをご記入ください。




保存しますか?