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カメちゃんのお出かけ帳

チームマイナス6パーセント

かめちゃんのBlog

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2004年08月31日

アリの大群

  パソコンに向かっていたら、なにやら手を這うものが……アリである。
「あれ? どっから入ってきたんだ?」
 ふとキーボードをみると、そこにも1匹。おかしいなぁ、と視線を床に移したら……絶句である。そこにはワラワラと行列をつくって移動するアリの大群がっ!
「ぎゃーっ!」
 ってことで奥の和室をのぞいたら、窓からぞろぞろ侵入してきているではないかっ! 網戸、ぜんぜん役にたってない。それにしても、なんでこんなに……。
 原因は和室に入ってわかった。ゴミ箱に捨てたはずの、アイスキャンディーの空き袋が落ちていたのだ。そこにくろだかり。
 確かにベランダにはアリはいた。5年間、お互いの領域を侵さずにうまく共存してきた。が、それも今夜限り。領域を侵犯したものには容赦ない。
 とはいえ、すでにもう夜。殺虫剤はない。ということで、近所迷惑とはおもいつつ、掃除機で攻撃開始である。
 吸っても吸ってもわらわらと出てくるアリ。どうやらすでに部屋中にちらばっているようである。それを追っかけ回すのはスマートではない。アリの通路で待ちかまえ、でてくるところに掃除機をあてる。
 そんな格闘を1時間はたっぷりしていただろうか。あれだけいたアリも、残すところ数十匹ってところになった。が、ふと窓をみると、入ってきてるーーっ! 窓はしっかり閉めてあるはずなのに、サッシの縁に行列が……ダメだ、これはきりがない。
 が、そこに助っ人登場。帰るコールの電話ですでに状況を知っていたculiは、閉店間際のドラッグストアで殺虫剤をゲットしてきたのである。
 さっそく殺虫剤をサッシの縁にふきかける。これで、侵入はくい止められ、あとは、残党を掃除機で片づければこっちの勝利である。戦闘は夜中の十二時で終了。わずか3時間の戦いではあったが、めちゃくちゃ疲れた。
 それにしても、すごい数だった。このアリも、冬になれば姿を消してしまう。そして、春になるとわらわらと沸いてくる。そのくりかえしだ。
 ベランダのアリをすべて退治する気はないけれど、これからも油断するとすぐに侵入されるに違いない。お互いの領域は守ろうよ……と、アリと会話できるはずもなし……ともかく、教訓。アイスキャンディーの空き袋は、窓際のゴミ箱には捨てるべからず。もしこれがアリではなくゴキブリだったらどうするんだ……と、想像した自分が馬鹿だった。ヘタなホラー映画よりもこわいじゃないかーっ!

投稿者 かめちゃん : 11:54 AM | コメント (0)

2004年08月30日

日本の工芸

  先週、東京国立博物館に『万国博覧会の美術』という展示会を観に行った。いつも利用しているバスに割引券(100円安くなるだけだけどね)がぶらさがっていたのを、もらっておいたのだ。
 上野公園はさすがに緑が多くて涼しく、のんびりした空気がただよっていた。日曜日の午後って感じだ。そんな日常的な空間を横切った先に、めざす博物館はある。
 日本の博物館の歴史は、1872年、湯島聖堂で行われた博覧会を最初としているそうな。上野に博物館ができたのは、その十年後。湯島で行われた博覧会は、翌年ウィーンで行われる万国博覧会の参加準備をかねていたようである(東京国立博物館サイトより)。
 今回の『万国博覧会の美術』展では、このオーストリアの万博に出品された品々も並ぶ。その前のパリ万博でも幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ出品してはいたけれど、このウィーン万博が、日本政府としての、初めての海外文化デビューとなったわけだ。そして日本の万博参加は、ヨーロッパ中にジャポニスムの流行を広げ、さまざまな画家や工芸家が、日本風味を加味した作品を発表することとなる。
 そんな西洋の芸術家を刺激した日本の美術とは、いったいどんなものだったのだろう。七宝、焼き物、掛け軸、刺繍、工芸細工……さまざまな工芸品が並んでいたけれど、共通するのは、その精密さだろうか。なにしろ、細かい! いまならコンピューターで図柄を取り入れ、マッピングして、はい終わり……だろうけれど、この頃はひとつひとつ、描いていた(あるいは掘っていた)わけで、その根気強さにまず、「すごい!」
 また、その図柄となっているものがまたいい。身近な自然が多いのだ。稲穂とスズメ、ツバメ、鯉、エビ、ネズミ、カマキリ、蝶……。華やかさはないけれど、それがまたいい味出してるのだ。
 そんな中でも一押しなのは、写実的なカニのオブジェがついた壺である。なにしろおいしそうなのだ、そのカニが。ホントウに生きているみたいで、「カニ鍋食べたい」って気分になった(美術品の鑑賞の仕方、まちがってる?)
 とにかく、そのカニが最高ではあるのだが、ほかにも壺や花瓶、硯箱に写実的な動物のオブジェがついているものが多々あった。なんというか、携帯電話やパソコンのモニタの上に、マスコットをぶらさげる日本人のDNAみたりっ! って感じだ。なんか、かわいいものを装飾としてつけたくなるのって、昔からかわらないんだな……と(やっぱり美術品の鑑賞の仕方、まちがってる?)
 それにしても、この百年前の日本の工芸技術は、いまもうけつがれているのだろうか? で、ふと、おまけで有名な海洋堂を思い浮かべてしまった。あの精密さは日本の職人魂そのもの! 形はかわれど、しっかり受け継がれているに違いない(違うかな~?) 

投稿者 かめちゃん : 11:53 AM | コメント (0)

2004年08月29日

お気軽ネットのグルメショップ

   海外旅行の経験はそれほど多いわけではないのだが、どの国の料意であっても、日本で食べるのが一番おいしいような気がする。
 当然、日本人向けの味に変えているからだろうけれど、旅行の目的が「グルメツアー」であったとしたら、日本にあるそれらの国のレストランをめぐったほうが満足できるのではないか? なんて思ってしまう。
 が、どうしても、本場じゃなきゃ食べられないものもある。その中で、ときどき「食べたぁ~い!」という思いにとらわれるのがスペインのハモンセラーノ----生ハムである。
 スペインのスーパーにいくと、骨付きのでっかいハムが天井からぶらさがっている。グラムで頼むと、その場でナイフで裂いてわけてくれるのだが、あの1本、まるまる買えたら幸せだろうなぁ……なんて思ったりしたものだ。ただし、部屋は生ハムの臭いでいたたまれなくなること必至。
 その「食べたぁ~い」という思いの強さは、数年前、お土産用のハモンセラーノを日本に持ち帰ったときに、成田の検疫で「これ、持ち込んじゃダメです。没収です」ととりあげられた恨みがあるからかも知れない。「とりあげるなら、買い取ってくれっ!」と思ったが、そんなこと言えるはずもない。いまはハモンセラーノの持ち込みはOKになったはずだが、あれ以来、旅行には行っていないのだ。
 が、いまは現地に行く必要などなくなってしまった。インターネットで買えちゃうのである。しかもスペインのスーパーにぶらさがっていた骨付き1本まるまる! なんと便利な世の中になったものだろう。
 さっそく1本……はさすがに部屋を生臭い臭いで満たしたくないのでやめて、パック詰めのものを頼んでみた。即日、クール宅急便で到着! 「う、うま~いっ! 現地で食べたのと同じ味!」……幸せである。
 このネットショップ、世界のグルメミートを輸入販売しているようで、ほかにも、シカ、馬、ダチョウ、ハト、ウサギ……と日本ではなかなか手に入らない肉を売っている。ウサギはやっぱりスペインで食べたし、ハトは香港で食べた。シカと馬は日本の田舎で食べたことはある。
 でもまあ、めずらしいというだけで、普段食べるなら豚と鶏で十分である(牛は高くなって食べられない!)。ハモンセラーノにしても、塩がきついので、毎日食べているときっと、あきてしまうに違いない。異国で気に入った食べ物は、たま~にその国の街並みを思い出しつつ食する程度にとどめておくのがいいのだろう。
 あとは、現地のワインさえ手に入れば……(これもネットショップ頼みか?)

投稿者 かめちゃん : 11:52 AM | コメント (0)

2004年08月28日

消えゆく旧家

  騒動がおきていたときは、ほとんど気にしてなかったのだが……。
 皇后様の実家、旧正田邸の跡地が「ねむの木の公園」としてオープンしたようだ。いざ、公園になったと聞くと、「なんで昭和のモダン建造物を壊して公園なんかにしたんだろう?」という疑問がフツフツと沸いてきた。この旧家の取り壊しをめぐっては、邸宅の保存を希望する人たちと国との間でひともんちゃくあったのだが、結局、取り壊しは強行されてしまったのだ。
 建造物の老朽という理由なのか、それとも、国土が狭いという理由なのかはわからないけれど、日本の都心部に、古い建物はあまり残っていない(あ、戦争で焼けたのか)。
 子どもの頃(二十数年前)、東京の山の手に住む友人の家に「家を見るため」に遊びに行ったことがある。なんと、彼女の家は、数少ないわらぶき屋根の家だったのだ(戦火はまのがれたのだな)。家にはおばあちゃんとマルチーズの犬がいて、広い土間、磨かれた廊下、高い天井、吹き抜ける心地よい風……とまるで、そこだけ時間が止まっているような不思議な空間だった。
 残念ながら、その数年後には、わらぶき屋根の家は取り壊され、新しい立派な家にかわってしまった。維持するのも生活するのも、いまの社会では難しかったようである。
 ヨーロッパの旧市街には、ほとんど中世からかわってないような街並みが残っている。ヒトビトはそこで生活を続けているのだ。ローマ時代から使われている橋の上を、エンジンを吹かした車が通り過ぎる。街の中心には、何代も前の先祖が通ったであろう教会が、姿を変えることなくたたずんでいる。彼らは歴史とともに現代を生きているのだ。
 日本の都心で生活をしていると、歴史を感じることなどほとんどない。思いを巡らすトリガーがないからだ。
 旧正田邸は、歴史的建造物としては価値がないとの判断で、取り壊しが決まったそうだが、ほんとうにそうだろうか。旧家はそこにあるだけでよかったのではないのか? 今更ながら残念な思いにとらわれた。
 少なくとも、キレイに整備された公園が担う役割は、平凡なものでしかないだろう。

投稿者 かめちゃん : 11:50 AM | コメント (0)

2004年08月27日

芸術の季節『夢から醒めた夢』の巻

  音楽教室を開いている演劇好きの友人の家には、録画した舞台のビデオがいっぱいある。といっても、もちろん、テレビで放映されたものの録画。
 先日、彼女の家に打ち合わせ(発表会のお手伝いするんで)に行ったとき、WOWWOWから録画した蜷川幸雄演出の『ハムレット』(主役は沖田……もとい、藤原氏よん)を見せてくれた……といってもさわりの10分程度。ようやく集中し始めたところで「プチッ」。「打ち合わせするよっ! 続きは今度ね」とギャーッ、鬼! せっかくいいところだったのにぃ! ……って違う、今日の話はハムレットじゃなかった。劇団四季の『夢から醒めた夢』だ。いかん、いかん。
 この舞台も、彼女の家で見た。NHKかなにかで放映されたものの録画で、実際の舞台は昨年秋に公演されていたもよう。内容は子供向けのミュージカルではあるが、なかなか感動できる。
 交通事故で死んでしまった少女「マコ」は、たったひとりの肉親の母親と最後の別れをするために、公園で出会った女の子「ピコ」に、1日だけ幽霊の身体と人間の身体を交換してほしいと頼む。ピコは好奇心からその申し出を快諾。幽霊の世界に1日だけおじゃまするのだ。ピコは本当の死の世界へ旅立つ駅のホームで、死をまだ受け入れられない幽霊たちに出会い、励ましてあげるのだが、マコが約束の1日を過ぎても戻ってこなければ、ピコはそのまま幽霊として一緒に死の世界へ旅立たなければならないと聞き不安になる。それもそのはず、ピコはマコのことはなにひとつ知らないのだ。マコがどんな女の子で、どこに住んでいるのか、ましてフルネームすらも。マコはほんとうに約束通り戻ってきてくれるだろうか。ピコの心配は杞憂に終わり、マコは約束通り戻ってきてくれたのだが、ここでマコの母親の引き留めが入る。必死に娘のマコにしがみつき泣き崩れている母親の姿を目にしたピコは、このまま自分が死んだ方がいいんじゃないかと悩み……ってな感じのお話である。
 暖かい気持ちになれるいい話なのだが、この原作が赤川次郎だと聞いて、びっくり。赤川次郎といえば、次から次へと新作を発表し、影武者が3,4人いるのではないかと言われたぐらいの人気ミステリー作家。学生時代にはまり、布団の中で夜更かしして読んだあげく、そのラストで激怒して本を投げつけたこともあるほど、救われない話を書いたりもする(もちろんそんな非情な話ばかりではないが)。
 そのミステリー作家が、子ども向けの暖かいファンタジーを書いていた……。へぇ。
 しかしその原作、あまり人気がなかったのか、本屋さんにはすでに置いていない。まああっても買うほどではないと思っていたら、友人が貸してくれた。なんと、原作は絵本だったのだ。絵は北見隆氏。よく雑誌や書籍カバーで見かける人気イラストレーターだ。
 赤川次郎の原作は、劇団四季の劇よりも短くシンプルだった。あっという間に読めてしまう。四季の劇は、彼の原作に肉付けし、サブストーリーを盛り込んだという感じだ。
 たぶん、劇団四季が舞台化しなければ、この小さなファンタジーは原作の絶版をうけて、そのまま消えてしまったかも知れない。世の中には、活字だけで消えてしまった物語がいっぱいあるのだ。劇や映画化される物語は氷山の一角。読書の秋。図書館で、絶版され忘れられた小さな物語を探すのもいいかも知れない。

投稿者 かめちゃん : 11:49 AM | コメント (0)