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2004年09月20日

敬老の日

  今日は国民の祝日、敬老の日でお休みだ。
 20歳で大人、65歳で老人。しかし、最近はヒトによっては20歳はまだガキだし、65歳は働き盛り。そろそろ年齢できっちり区切るのはやめればいいのに……と思ってしまう。20歳以下でも65歳以上でも、自立していれば大人、自立してなければ子ども。老人って言葉はいらない気がする。
「そんなことしたら、社会は混乱するだろうが!」
 ま、そうかも知れない。だけど、誰にでもわかりやすく納得されやすいからと、なんでも年齢による区別をすればいいというのは、違うような気がする。
 それはさておき、敬老の日ができたのは比較的新しい。そもそもは、兵庫県のとある村の村長さんが、農閑期にあたる9月中旬頃に「としよりの日」として敬老会をひらいた(1947年)のが始まりらしいのだが、これが全国に広がり、国民の祝日となったのは1966年のことだ。
 しかしこの敬老の日が9月15日(昨年から9月の第3月曜日に変わったけど)になった由来のひとつとして、こんな話もあるそうな。
 聖徳太子が、仏教思想に基づき築いた四天王寺の四箇院のひとつ、「悲田院」が建立された日が9月15日だったというのである。
 この悲田院はいまでいう老人ホーム。残りの三院は貧困者や孤児の救済施設。弱者を社会で保護しようという流れは、奈良時代からあったわけだ。
 敬老の日は、「長い間社会に貢献してきたご老人を敬愛し、長寿を祝う日」として国民の祝日になったそうだが、いまや敬愛するどころか、詐欺や強盗犯罪に狙われやすい存在になってしまっている。また、敬老の日は稼ぎどきとばかりに、「敬老の日には日頃の感謝を込めて贈り物を」とデパート各店は大いに「買え買え」と煽っている。
 贈り物を贈るのは、もちろん悪いことではないけれど、「子どもの日」「母の日」「父の日」「敬老の日」「クリスマス」「バレンタインデー」と、単なる消費イベントとしてごっちゃになっている感じがして腑に落ちない。
 どうして国(社会)は、こういう特別の日をつくるのだろう。いや、そういう日があるからこそ、日頃はテレ臭くて言えない「ありがとう」という感謝を伝えられる……ということなんだろう。つまり「母」という「父」という、そして「社会の先輩=老人」という「社会の役割」に対して感謝しましょう……ってことなんだろうな。だけど、子どもや年輩者を狙った犯罪が減らないのは、感謝する日を作っただけではダメってことじゃないのかい>お役人。
 ともかく、これからますます高齢化が進むわけで、年齢的に老人の印を押されてしまうヒトは増える一方だ。年金の問題もあるけれど、「65歳を過ぎたら老人」という年齢的に区別しないものの見方はできないのだろうか。定年制も偉いさんのポストにずっと居座られるのが問題なわけで、65歳を過ぎたら新しいことに再挑戦と、まったく別の仕事で働いてもらうとか、いろいろやり方はありそうなものだが。
 まあ、この10年ぐらいで仕事や生活の形態は変わらざるを得ないんだろうけどね。

投稿者 かめちゃん : September 20, 2004 12:36 PM

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