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かめちゃんのBlog

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2004年10月04日

秋の長雨

 秋の長雨……うっとうしい!
 まあ、秋はちゃんとやってきたのだから、安心すべきことなのかも知れない。ここ数年、夏の気候がヘンだったから、とうとう日本も季節がなくなっちゃうのかと思っていた。季節は雨期と乾期だけ……なんてことになったら、よき俳句も浮かぶまい……って読んだことないけど。
 あ、いやまてよ。小学生の頃、俳句を作った覚えがある。読んだ句はぜんぜん覚えていないのだが、父親に「作ってみぃ」と言われて、姉とふたりでいくつか作って披露した記憶があるのだ。
「川柳は季語がなくていいけど、俳句は季語をいれなきゃだめ」ってことで、春夏秋冬、それぞれの季節の言葉もいくつか教わった。そのマイファミリーブームはあっという間に終止符を打ったのだが(父親に見込みナシと思われたんだろうな)、五七五のリズムはけっこう好きである。
 この季語ってやつは、普段の会話ではほとんど使わない。というか、知らないから使えない。たとえば、秋の雨といっても、いろんな雨がある。「秋雨(あきさめ)」「秋霖(しゅうりん)」「秋入梅[黴雨](あきついり)」「秋時雨(あきしぐれ)」「秋驟雨(あきしゅうう)」「小糠雨(こぬかあめ)」……。
 昔のヒトは「ずっと雨降りだから寒っ!」ってところを「秋入梅ですからそぞら寒いですな」ってな感じで言ったんだろうか。『新選組!』のような時代劇でも、古い言葉のいいまわしはなかなか聞かれない。「日本語って豊富でキレイなんだ」ってことをドラマの中で表現してくれてもよさそうなものなのに。
 ある本で、虹の色は7色とされているが、あれは適当に分節しているに過ぎないと書いてあった。アメリカでは6色と考えているヒトが多く、民族によっては、5色や2色とみなしているという。実際の虹はスペクトルだから、色相は連続して変化している。だから、何色に分けるかは、文化の問題だというのだ。
 昔の日本人は、虹を何色とみていたのだろう。幼稚園で6色のくれよんをもらい、小学生で12色の色鉛筆(24色持っていた子もいたけど)、そして、12色の絵の具をもらって初めて、色は混ぜ合わせれば何色にもなると理解した。でも、基本色は12というイメージは完全にインプットされている。
 日本の伝統色は実はものすごくいっぱいある。そんな色のサンプルを見せられても、頭の中では12色に還元してしまう。微妙な色の差なんて、いまの生活ではそれほど意味がないのだ(ファッション、デザイン関係の方は別だろうけど)。
 雨にしても同じ。「台風」「どしゃぶり」「にわか雨」「小雨」ぐらいは使っても、季節によって、雨の呼び方をかえるようなことなどほとんどしない。必要とされなくなった言葉はどんどん生活から離れてしまう。ま、それもまた文化ということか。昔のヒトは64色ぐらいの色鉛筆を使い分けるのは普通だったけど、いまは12色で十分。それでコミュニケーションできるということだ。
 毎年、「現代用語」関連の分厚い事典が作られる。そのほとんどは生活に関係がないし、意味を知っても理解できない。しかし、そんな言葉を知らなければ、現代という時代はとうてい読めない。そんな現代の言葉に押されて、どんどん、昔の言葉は消えていく。雨や色を何通りにも表現できるヒトは消えていくのだ。
 多くの色を見ても12色にしか表現できない自分と64色ほどに表現できる自分……どちらが「豊か」だろうか。そう考えると、少し寂しい気分になる。

投稿者 かめちゃん : October 4, 2004 12:58 PM

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