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かめちゃんのBlog

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2004年10月14日

とうりゃんせ

 さて質問です。「たったいま、なに考えてました?」
 学生たちにポケベル(いつの時代だ?)を持たせ、不定期にベルを鳴らし、その瞬間に考えていたことを書き留めさせるという実験の話を読んだことがある。これは、ヒトはひとりでいるときも、年がら年中、内的な言語表現(自分に話しかけている)をしているという一般認識を、検証するための実験である。
 結果はどうだったか。自分に話しかけていたという割合は30パーセント程度で、あとは「映像(画像)を思い浮かべていた」「言葉や感覚を伴わない考え=何も考えてない」「情動的な感覚にとらわれていた」「おなかいた~い、さむ~いなど知覚していた」などが25パーセント程度(重複解答あり)で拮抗していたという感じ。意外と「なんにも考えてな~い」ってときも多いんだな、と思ったものだ。
 が、どうして「歌をうたっていた」っていうのがないんだろう……と首を傾げた。けっこう、CMソングや、なんでいまさらと思うような古い歌が、頭のなかを駆けめぐっている状態って多いのだが……。まあ、その本によれば、「ひとりでいるとき(そのある瞬間)に何を考えているか」を後から思い出すこと(=記憶)はあてにならないそうだから、ただ、多いように感じているだけかも知れない。
 それでも頭を駆けめぐることは駆けめぐる。中でも多いのは、CM。次いで10代によく聴いていた流行歌や幼児期に歌っていた童謡だ。CMはいま流れているものばかり出てくるが、いまどきなポップスが頭を駆けめぐることはない……って、単に難しすぎて覚えられないだけか(情けない)。
 さてここで本題。頭を駆けめぐる懐かしき童謡についてだ。「ずいずいずっころばし~」なんてわらべうたの遊びをしたな~と懐かしく思い出しつつも「なんじゃこのヘンな歌は」と、子どもの頃はぜんぜん気にならなかった歌詞が妙に気になるのである。
 いまならネットでチョチョイノチョイと調べられるのだが、勝手に想像して納得していた歌もある。今日はその代表『とうりゃんせ』について。『ずいずいずっころばし~』はおあずけ。
 とうりゃんせ
 とうりゃんせ
 ……(中略)……
 この子の七つのお祝いに 
 お札をおさめにまいります
 行きはよいよい帰りは怖い
 怖いながらも とうりゃんせ……
 お参りに来たのに通してくれない。理由を説明し、どうにか通してもらったけれど、帰りはみておれ?! ってな歌だ。
 遊びとしては、ふたりが手でアーチをつくって、そこを一列になってくぐり抜ける。歌の最後にアーチをくぐったヒトが捕まって負け!
 それにしても、なんで帰りは怖い? 子どもの頃は「天神様っていじわるなんだ」ぐらいにしか思っていなかったが、いつ頃からか勝手な解釈を始めていた。
 そうか、昔は「7歳までは神のうち」と子どもはヒトより神に近い存在(いつ神の元に召されてもおかしくないほどの高死亡率)だったわけで、きっと、7歳になった子どもを神様が人間界に帰さないように捕まえちゃうぞ! って歌なんだ! と。
 ……違った。
 童謡『とうりゃんせ』の発祥の地は、埼玉県川越市にある三芳野神社。この神社は川越城の鎮守で、城内にあるのだ。そのため一般人は、年に一度のお祭り日以外は参詣できなかったのである。この歌は、一般人の参詣が難しく、もし参詣が許されたとしても、その帰りにうっかり参道を外れ、城の内部に入ってしまったら無事に帰れなくなるぞ! ってな意味らしい。
 しかし、調べてみると、こんな解釈もあるそうな。
 江戸時代、関所を通るには手形が必要。しかし、親の急病などで手形を受け取る時間もなく関所にやってくる者もいた。役人だってヒトの子。こっそり通してやった人情派だっていたのだ。行きはそれですんだとしても、困るのは帰り。同じ役人を見つけて「ありがとうございました」ではすまない。だから行きはよいよいでも帰りはそうはいかん……ってことだそうな。
 歌い継がれてきたわらべうたは、元はどうであれ、さまざまな解釈がされてきたのだろう。地域によっても違うのかも知れない。では『ずいずいずっころばし』は……また今度。 

投稿者 かめちゃん : October 14, 2004 01:09 PM

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