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かめちゃんのBlog

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2004年10月29日

放送自粛映像

 小学生の頃、学校で映画鑑賞会というのがあった。その中に、関東大震災を描いた映画があり、その恐ろしさにしばらく道を歩くのも怖かった覚えがある。
 中でも印象に残っているのは、一家で逃げていく途中、道路が割れて、その割れ目にお母さんが落ちていくシーンだ。見終わった後、先生は「地震はいつくるかわかりません」という追い打ちをかけ(事実なんだが)、それが更に萎縮させた。
 いまはそんな映画を学校で放映することはないのだろう。戦争映画も何本か観たが、それもないのかも知れない。熊本のある小学校の教師が「肝試し」として、被爆者の写真を生徒に見せたという許し難い事件があったけれど、それを見た子どもたちの中には、怖くて泣きだした子もいたという。現実に起きた悲劇を非現実のお化けのように扱った教師にはあきれるが、彼が見せた写真は、消すことのできない事実であることに間違いない。
 いま、ゴールデンタイムのニュースでも朝の情報番組でも、毎日、「死」の報告がある。家族でご飯を食べながら「死」の報告を聞く。実際にそれがどういうものなのか想像することは、たぶんない。
 このところ、アニメが急遽、再放送に差しかえられたりしている。理由は「地震のシーンがあるので考慮した」というものだ。被災地の子どもたちを思ってのことであり、当然の処置だろう。地震に遭うまでは平気で見ていられただろう映像が、急に自分のものになってしまったのだ。そんな子どもたちには酷である。
 しかし、少し疑問が残る。映像は、本来、体験していないものを体験し、そのことに思慮を巡らすための道具ではなかっただろうか。実体験をしていない子どもたちが、映像を通して体験をする。そういう機会は、いまのメディアからは得られないということだ。いくら地震のアニメを見ても怖くない。人がたくさん死んでも悲しくない。平気でご飯が食べられる「死」や「地震」だけが、いまの子どもたちの目に触れる。
 それがいいのか悪いのかはよくわからない。いまだに、学校の映画で観た、割れ目に落ちていく母親の形相が目に浮かぶのだ。こんな体験をする必要があっただろうか? 少なくとも「地震のあとは、闇雲に逃げちゃいけない」ってことは、教訓として得たけれど。
 イラクで拉致された香田さんに対するコメントは、「助けなければ」と言いながらも冷ややかなものが多いように思える。たぶん彼は、ホンモノの戦場も、ホンモノの「死」も知らなかったのではないだろうか。そんな彼に突きつけられたホンモノの生と死のニュースを、ご飯を食べながら「自業自得だから仕方ない」と思うヒトが多いとしたならば、やはり、少しばかりショッキングではあっても、現実に近い映像や、現実の映像をきちんと観ることは必要なように思えてくる。
 地震も死も恐ろしい。だけどそれを「知らない」ということは、もっと恐ろしいことを招いてしまいそうで、恐ろしい。

投稿者 かめちゃん : October 29, 2004 01:27 PM

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