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カメちゃんのお出かけ帳

チームマイナス6パーセント

かめちゃんのBlog

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2004年11月30日

永遠のキャラクター

 小学生のとき、クラスの図書係というのをやったことがある。教室の一番後ろの棚の上に、みんなで持ち寄った本が置いてあり、その貸し出しを管理するのだ。
 マンガ本はほとんど置くことを却下されていた中、なぜか『ドラえもん』だけは許されていた。先生の独断だろうけど。図書係は、休み時間に借りたいというヒトがやってくるので、いつも席についていた。で、その間、置いてある本を読んでいたわけだが、なぜか『ドラえもん』しか読んだ記憶がない。きっと『ドラえもん』しか読んでいなかったのだ。1巻から16巻ぐらいまでだったろうか。1~2度、借りられないために、自分で借りたことにして貸し出ししなかったこともある。職権乱用とはこのことか。
 さて、その『ドラえもん』。いまではすっかり『サザエさん』同様、永遠に生き続けるキャラクターと化した。アニメはほとんど観ないヒトであっても、大山さんの独特の声を聞けば「あ、ドラえもんだ」とわかるに違いない。
 1週間ほど前、その大山さんを含むメインの声優陣が一気に交代するというニュースが流れた。そして、交代劇はそれに留まらず、監督、脚本家などのメインスタッフ陣も交代することになったという。キャラクターは永遠であっても、その世界を創り上げた人間たちに、永遠は約束されない。
 もし、50年後、100年後にもまだ続いていたとしたら、その時代のドラえもんは、いったいどんな環境で、どんなことをテーマに生きているだろう。家や学校の様子も違うだろうし、テレビも携帯電話も車も変わっているだろう。お母さんは専業主婦じゃなく、バリバリのキャリアウーマンで、名字も旧姓を名乗っているかも知れない。それに、ドラえもんがポケットから出した夢のグッズのいくつかは、実用化されていたりするかも知れない。そうなると、ドラえもんのいた未来の様子も変わってくるだろう。
 その時代の子ども達は、20世紀のオリジナルの『ドラえもん』を観て、歴史を勉強するかも知れない。だけどきっと、のび太やジャイアン、スネオなどの主要キャラクターの個性は変わらないだろう。いつの時代も同じような人間が同じような人間関係を築いていく。本当の永遠は、それかも知れない。

投稿者 かめちゃん : 01:53 PM | コメント (0)

2004年11月29日

読書の季節『34丁目の奇跡』の巻

 どうやら街は、クリスマス一色で彩られる季節になったようだ。キリスト教徒ではないけれど、このシーズンになると心が躍る……寒いけど。
 本屋も例外ではなく、クリスマス関連の本が平積みになっていた。そのなかで『34丁目の奇跡』を見つけた。いや、見つけたというより、「見ろ、読め、買え」とばかりに一番目立つ場所に、どどーんと置いてあったのだ。しかも帯のキャッチがすごい。「こんなに心のあたたまる物語があっただろうか」「ついにめぐりあったぞ! いままで読んだ中で、一番心が温まる本! 人に教えたくない!」
「へぇ、温まりたいよねぇ、寒いからねぇ」と手にとってみれば「あれ? このタイトル知ってる」
 それもそのはず、映画になっているのだ。観てないのだが、タイトルだけは知っていた。なんでも、小説が映画化されたのではなく、映画が先。小説はその後書かれたものらしい。
 映画の制作年は、なんと1947年。その後、1994年にリメイクされたという。ずいぶん古い時代に書かれたものだけど、ストーリーはまったく色あせてない。
 主人公はサンタクロース。いや、自分はサンタクロースだと言い張っている老人だ。彼は妄想癖があると思われている。そんな彼がひょんなことからあるデパートのサンタクロースの売り子として雇われる。そのサンタの仕事は、子ども達に「何が欲しい?」とクリスマスに欲しいものを聞き、隣にいる親の顔をうかがいつつ、クリスマスプレゼントのアドバイスをすることだ。しかし、この老人、なぜか、街のオモチャ売場を全部把握しているようで、子どもが欲しいと言ったものがそのデパートになければ、別のお店を紹介してしまう。
 このままでは売り上げが落ちると考えた売場の責任者は彼をクビにするのだが、社長室には「私益を考えず、優しくて素敵なサンタさんに会えたこと」に対する感謝状がいっぱい。それがデパートのイメージアップにつながり、トータル的に売り上げは伸びていたのだ。
 自称サンタは、売場責任者も味方につけて、そのまま働けることになったけれど、妄想癖のある彼をよく思わないそのデパートの職業指導者が「妄想癖がある人物は、いつ暴力的な人格に変貌するかわからない。子どもに被害が及んだらどうする」ということで、彼を病院に強制収容してしまう。老人は病院に入れられるほど重症じゃないという弁護士(売場責任者との恋の行方もストーリーに絡んでくるが、それはパス)は、裁判を起こしたのだが、成り行き上、彼が「ホンモノのサンタクロース」だということを証明しなければならなくなる。
「はは~ん、最後はその老人がホンモノのサンタクロースでした! と、トナカイのそりにのって天に昇っていく、なんて感じのファンタジーか」と思いきや、そうじゃない。ファンタジーでもおとぎ話でもなく、現実にありそうな話なのだ。この街に起きた奇跡は、現実に起こせる(かも知れない)奇跡なのである。
 その老人は、本当にサンタクロースだったのかは最後までわからない。いや、その判断は、読者に任せているのだろう。老人が本物のサンタクロースだと信じればそうなのだろうし、信じなければ夢多き老人に過ぎない。なにしろ、この話のテーマは「信じることってなに?」なのだから。一応この物語では「信じることは常識より大切なこと」「信じることの連鎖が、やがて奇跡を呼ぶ」と語っている。
 他人をどこまで信じられるか。家族や友人は? 「信じている」と思っていても、本当に、心から信じていると言えるだろうか。旦那が突然「会社を辞めて、ラーメン屋になる」と言ったら、その成功を信じてあげられるだろうか? 子どもが「世界で何が起きているのかこの目で見るために、1年間、外国を放浪したい」と言ったら、その信念を信じてあげられるだろうか? 「日本を今一度洗濯いたしたく候」と言ったら、「アホか」と笑い飛ばさずにいられるだろうか。
 信じるということは、「成功だけを信じる」ことじゃないのかも知れない。たとえ失敗しても、それを受けとめる覚悟までなければ、本当にそのヒトを信じているとは言えないのかも知れない。
 ま、そんなことを考えさせる本です。あ、もちろん、温かい気持ちにもなれます。


34丁目の奇跡
ヴァレンタイン デイヴィス Valentine Davies 片岡 しのぶ

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投稿者 かめちゃん : 01:51 PM | コメント (0)

2004年11月28日

形から

 久しぶりに、1年間もハマッた大河ドラマ『新選組!』もあと残り2回となってしまった。ドラマの感想……となると400字詰め原稿用紙10枚ぐらいは軽く書けそうだけど、やめとく。
 今日の放送で、ひとつ、思い出したことがあった。土方が洋装で登場した初っぱなのシーン。仲間に「見慣れない」「おかしい」と言われながらも、彼は「刀の時代は終わった。オレは姿形から入るんだ」と、かっこつける。
「あ~、いたいた、こういう上司」と、突然、昔の思い出が蘇った。彼は、中途採用でいきなり主任という地位に配属され、自分流に「会社を改革してやる!」と、はりきっていた。で、彼がとった方法は、今までとは違うシステマティックなマニュアルをつくり、それを「やれっ」と部下に命令したのだ。
 が、その会社、けっこう個性的な連中ばかりがそろっていた。みんな『新選組!』の永倉みたいで、「あんたの部下じゃない(部下だよ)。命令される覚えはない」ってな感じで扱いにくい。で、彼は今日の近藤みたいにキレた。
「物事は、形から入るものだっ!」と。どういうマニュアルだったかは全然覚えていないのだが、つまりは「うまくいくかいかないかを考えるより、従ってみるのが先」とでも言いたかったのだろう。だけど、その言葉はえらく反発をくらった。「オレたちのほうがこの会社の文化を知ってんだ」という部下たちに、形から入れと言っても難しい。「このままじゃダメだ」とわかっていても、形=システムを変えることはイヤなのだ。
「失恋したら髪を切る(いまはないか)」というのは、外見を変えることで、気分転換をはかる方法だ。年がら年中、引っ越ししている「引っ越しマニア」は、環境を変えることで、自分も変われる気がするのだろう。と、ヒトゴトではなく、引っ越しはかなり好きだった。さすがに今は引っ越しする気になれないけれど、部屋の模様替えはしょっちゅうしている。物事のけじめや気持ちを切り替えたいときに、模様替えはけっこう効くのだ。ただし、形から入った「出直し気分」は、そんなに長続きしない。その新しい気分を継続させるには、それなりの覚悟が必要だ。それがないから、すぐにまた、形を変えたくなる。
 さて、終わりの近い『新選組!』。洋装の土方があまりにハマッているので、なんだか終わっちゃうのがもったいない。この後、特別番組でも舞台でも映画でもいいから、続編(五稜郭まで!)を作ってもらえないかなぁ。小さなエピソードのオムニバスでもいいからさぁ……って、こんな個人の日記に書いていてもしかたあるまい。NHKにメールしよっと(メールしてもしかたないんだけど)。

投稿者 かめちゃん : 01:50 PM | コメント (0)

2004年11月27日

中国国宝展

 今日は上野の国立博物館に行ってきた。目当ては『中国国宝展』である。
 かなり前になるが、日本の国宝展を父親と一緒に行こうとしたことがある。しかし、博物館前の上野公園にずらーっと並んだヒト・ヒト・ヒトの列を見て、「や~めた」と帰ってきてしまったのだ。「国宝」というお国のお宝をまとめて見られる機会はそうめったにない。いまでもちょっと残念。
 さて、今回はお隣、中国のお宝だ。まあ、日本の国宝展より混んではいないだろうと思いきや、やっぱり混んでいた。さすがにずらーっと並んではいなかったけれど、中に入ってみれば、ヒトの頭ばかりでぜんぜん見えない。おまけに、音声ガイドなんてものを耳にしているヒトは、一通りの解説が終わるまで、その展示品の前から動かない。ま、混んでいることを嘆いてもしかたあるまい。それがイヤなら、平日の午前中に行くべきなのだ。
 さて、肝心の内容なのだが、コーナーは二つに分かれている。ひとつは「考古学の新発見」と題して、最近、発掘された品々を展示しており、もうひとつは「仏教美術」である。仏教美術は、よく見るものばかりで、これといって興味をそそられなかった。まあ、仏像の顔が時代によって「こうも違うか」という発見はあったけれど、やっぱり仏像はガンダーラでしょ~(って今日の展示には関係ないけど)。
 で、「考古学の新発見」のほうである。日本で埴輪が作られる遙か前の石器時代に、中国では「玉」という石を使った精巧な装飾品やヒト型の彫り物などがすでに作られていた。宗教儀式に使われたものや、墓の副葬品である。お墓には、墓のご主人といっしょに殉葬されたヒトや犬の骨があったそうな。現代の感覚からするとゾッとするが、当時のヒトビトはどうだったのだろう。
 さて、何点かおもしろいものがあったけれど、いちばん、印象的だったのが「手」である。手首から上の青銅器で、紀元前13世紀頃のものらしい。出土した場所はやっぱりお墓。何に使ったのかは謎であるが、解説書には「孫の手か?」なんて書いてあった。青銅製の孫の手……痛くないか?
 その「手」だが、見た瞬間に、「『ドラゴンクエスト』のマドハンドだっ!」なんて思ってしまった。マドハンドって手の形のモンスターね。そういえば、今朝、宅急便で予約していた『ドラクエ』が届いたんだっけ。そのせいかもしれない。
 日本と中国の関係は、政治的にはあまりよろしくない状態にあるようだけれど、展示会に来ているヒトビトは、みな中国に好意を持っているように思えた。あとはヨン様のような中国のスターが現れれば……ってそればっかりですな。

投稿者 かめちゃん : 01:49 PM | コメント (0)

2004年11月26日

宝くじ

 ある数学者の本に「当たる確率を計算してみぃ~、宝くじを買うなんてお馬鹿なことよ」ってな内容のこと(こんな言葉じゃないけど)が書いてあった。
 これは宝くじというギャンブルにはまり、財産を失うヒトへの警告で、年に2度ほど「ジャンボ宝くじ」を買うぐらいのことに「お馬鹿なことよ」と言ってるわけじゃないだろう(って、だから、そういう文章じゃないんだけど)。
 しかし不思議なもので、どんなに確率が小さいとわかっていても、「運」やら「奇跡」やらがこの身に訪れるんじゃないかと、根拠のない想像をしてしまったりする。いや、その根拠を求めて、縁起をかついだり、ジンクスを信じたりもする。しょせん、「論理」よりも、「目に見えない不思議な力」ってものを信じてしまいたくなるものなんだろう。
 何日か前、高額当選者から「当たる秘訣」や「当選秘話」を聞く番組をやっていた。そこでは宝くじが当たる神社や置物、偶然とは言い難いような逸話などを紹介していた。テレビの怖いところは、当たっているヒトビトばかりを取材していれば、当選者がものすごくいっぱいいるようで、安易に当たるような気になってしまうことだ。
 そもそも宝くじは、皇帝や封建領主など権力者の娯楽だった。その娯楽がけっこうな財源になると睨んでか、国の収入確保のために売り出し始めた(1520年、仏が最初とか)。
「お金がなくて寺社の修復ができません」
「じゃ、<富くじ>でも売れや」
 ってことで、日本では江戸時代初期に始まったらしい。しかし、明治政府はこれを完全に禁止。復活したのは、やっぱり
「もう、軍事費がありません!」
「じゃ、<勝札>でも売れや」
 ってことの第二次世界大戦終戦直前だったそうな。しかし、敗戦しちゃったもので、これまた
「復興するのにお金が……」
「じゃ、<宝くじ>でも売れや」と。
 つまり、宝くじは儲かるのだ。本当に大金を手にするのは、胴元……もとい、発行元だ。現在の宝くじの収益の振り分けは、約40%が発行元の地方自治体に、約15%が経費に、約45%が当選者に渡るという感じ(「日本宝くじ協会」サイトより)。地方自治体ってことは、公共事業費になるってことで、いうなれば自分たちに返ってきてはいるわけだが……。
 また増税! なんて話を聞くと、「ヨン様をキャラクターにしたカード型宝くじ」なんてものを売り出せば、あっという間に儲からないか? なんて思ってしまう。あ、肖像権ってやつでヨン様の懐にいくだけか……とまあ、とにかく、「増税」にしろ、「義援金」を募るにしろ、広く浅くお金を集めたいなら、お金を出すほうも楽しめるような仕掛けを考えたらいいのに、と思うのだ。なんてことを言うと「じゃあ、東京都のカジノ計画に賛成するんかい?」ってなことになってしまうか。破産者続出っていうのは物騒だし、難しい話ですな。
 ともあれ、確率がいかに小さかろうが、今年も買ってくれるんだろうな。「年末ジャンボ、宝くじ!」

投稿者 かめちゃん : 01:48 PM | コメント (0)