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かめちゃんのBlog

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2005年01月08日

移民

 知らなかった。会津藩のヒトビトが、カリフォルニアに移住していた! なんて。
 なにげに観ていた『世界・ふしぎ発見!』でそんな話をやっていた。1869年、戊辰戦争で大敗した会津は、藩の軍事顧問ヘンリー・シュネル(プロシア人)の「アメリカで藩を再興させましょう!」という提案に乗り、会津のヒトビト二十数名(四十名ほどという説もあるみたい)をカリフォルニアに送った。シュネルは農地600エーカーを買い、移民達は、そこを新しい会津の国とすべく、土地を耕し、桑や茶や米の栽培に取り組んだ。どうやらゴールドラッシュで沸いたカリフォルニアで、絹や茶を売ればもうかると思ったらしい。
 そりゃあ、うまくいけば売れただろう。が、気候や土の違いで作物はほとんど育たず、1年足らずで資金不足、シュネルは日本に資金調達にでかけることになる。が、その後、彼が戻ることはなく、言葉も通じない土地に残された会津のヒトビトは暮らしも立たず、てんでばらばら。その後、異国の土地でどうやって生きていったのやら。
 この話が表舞台にあがったのは、第一次世界大戦後だそうな。その、幻の会津国「若松コロニー」の草地に、日本人女性の墓があり、それが発見されてのことだ。その墓は、「おけいの墓」と日本語で刻まれており、「1871年没、19歳、日本人の少女」と英語が添えられている。
 この墓を見つけた日本人(竹田雪城)は、それはびっくりしたことだろう。1871年! 明治政府のあずかり知らないところですでに移住していた人が、しかも女性がいたなんて……ってな感じで驚きまくったに違いない。そこで調査にあったったところ、若松コロニーの存在が明らかになり、おけいという女性が何者だったのかもわかった。
 会津では、シュネルの子守りだった。それが、「一緒にアメリカ行きましょう!」と誘われ、海を渡った。コロニー崩壊後は、シュネルの友人の白人の家の使用人となり、家族にかわいがられていたという。が、19歳の若さで病に倒れて没。一緒に使用人として働いていた若松コロニーの仲間が、おけいの墓を建てたそうな。
 入植の話は成功談より失敗談を多く聞く。いや、成功までの道のりが長すぎるからかも知れない。もし、若松コロニーが成功していたら、カリフォルニアに会津のヒトビトをはじめ賊軍とされたヒトビトが移住し、第二のふるさとが誕生していたのだろうか。そうしたら、新選組の斉藤一も海を渡ったかなぁ……。
 ま、それはそうと、アメリカではブッシュ大統領が再選した際、「もうアメリカなんかに住んでられっか!」とカナダに移住したいというヒトビトが数多く出現したと聞く。自国が自分にとって生きにくい国になってしまったら、移住したいと思うようになるんだろうか。いまのところ日本は生きやすいけれど、とりあえず、スペイン語はまじめに覚えておくべきか(英語はイヤ)。
 逆に、日本は「移住したい」という外国人をこれから受け入れていく体制になっていくのだろうか。ある自民党の若手議員は数年前のあるシンポジウムで「日本人とは民族ではなく、日本という風土を愛する人々としてとらえるべき」とのたまった。これは日本の少子化対策について、外国人を受け入れていこうという意味である。たぶん、少数派だろうな。もしかしたら、意見かえちゃってるかもな。
 ともあれ、異国の土地で人知れず死んでいった移民達に合掌。

投稿者 かめちゃん : January 8, 2005 02:29 PM

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