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2005年02月15日

奇跡と移植

 33例目となる脳死判定の記事を読んでいたら、昨日、ボーッと聞いていたニュースを思い出した。
 たしか米国だったと思うが、22年間も植物状態に陥っていた女性が意識を取り戻したというのだ。交通事故にあったのは17歳のとき。目覚めたら、39歳になっていた……ご本人、びっくりである。どうやら記憶は17歳のままらしいのだ。
 それにしても……実際にあるんだ。前に織田裕二主演の『真夜中の雨』というドラマで、やはり20年も眠っていたヒトの意識が戻るという設定があった。そのときは「そんなことあり得ないよなぁ。まあ、ドラマだし」と安直に考えていたが、ヒトの脳や生命力というのはあなどれないということか。
 米国では、臓器移植の提供者を脳死患者から植物状態の患者にまで広げようとしているときく。しかし、こんな奇跡的な話を聞けば躊躇するんじゃなかろうか。そもそも、なにをもってヒトの死とするかは一概に決められない。脳死状態になっても10年以上生き続けたという話もあるそうだ。いざ取り出そうとしたとき、脳死者が暴れだし、麻酔をうったという恐ろしい話もあるそうな(さまざまなサイトから)。
 たとえば、もしモルモットが事故で(?)植物状態になったとしたら、世話をするのを放棄するだろうか? たぶん、しない。もともと、ものをいわないモルモット。犬のようになついてくるわけでもないモルモット。だから(?)意識があるかないかで接する態度が変わるとは思えない。虫だってそう。しょせん、自由意思などなく、遺伝子のプログラム通りに生きているだけの生物(たぶん)。だけど生きている。命はあるのだ。
 だから脳死という概念は、どうしても馴染めない。たとえ脳が死んでしまっても身体を維持するシステムが死んでいなければ、そのヒトは死んでいないという気がするのだ。
「だけど所詮、長くは生きられない。だからこそ、生きている臓器を活かすために移植するのだ」という意見もある。でも、やはりできない。自分の身体を構成する要素を、入れ替え可能のモノとしては考えられない。
 日本では、本人の意思がなければ、臓器移植はできない。しかし、その臓器移植法を改正しようという動きがある。法的に脳死をヒトの死ととらえ、本人の意思がなくても、家族の同意が得られれば移植できるようにするという案らしい。あと15歳以下の子どもについても。
 それは、日本で移植できないからと膨大な費用とリスクをかけて米国に渡る患者さんがいるからだ。その患者さんの立場であれば、ワラをもすがる思い。その思いを否定するつもりはないし、募金していたら支援してあげたくもなる。
 それでもやはり、脳死=ヒトの死とは思えないヒトがいる限り、本人の意思を確認するのは重要なことだろう。家族でだって意見はわかれる。ヒトの死を考えるなら、ヒトの尊厳についても考えてもらいたいものだ。異なる価値観を尊重しながら共生できるのがヒトの社会……のはずだもんねぇ。

投稿者 かめちゃん : February 15, 2005 03:05 PM

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