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2005年05月14日

オススメ本『脳はなぜ「心」を作ったのか』

2005-05-14.gif なんてことだろう。昨日の日記で、「体調が悪いときは、意識を意識する自分ってなんだろう?」なんて不毛なことを考えてしまう……と書いたばかりだというのに、「べつに不毛じゃないよ、こう考えればすっきりするでしょ」という本を見つけてしまった。哲学でも宗教でも脳科学でもない、ロボット工学者の書いた本『脳はなぜ「心」を作ったのか』(前野隆司著/筑摩書房)である。
 いや、納得。非常に納得。まだ読みかけのネットワーク科学のベストセラー『複雑な世界、単純な法則』と同じだ。複雑に思える世界(この場合は「意識」=「心」)とは、実は簡単な現象に過ぎないんですよ、と心理学や脳神経学の実験を根拠にわかりやすく組み立ててしまっている。いや、たぶん論が甘いとか荒いとか反論される方々は多いと思う。決め付けてかかっている文章が多いし、これまで哲学的に深く意識や心、それに魂などを考察してきた多くのヒトビトには、不快感すら感じさせる気がする論調だ。だけど、これほどすっきりした考えがほかにあったろうか? と思えるほど、この本が主張している「心」の正体には納得できてしまった。いや、おみごと。だけど、だからといって、これが真実か? といえば、証明できない限り断定できない。そこで前野氏は、心を持つロボットを作ることで証明したいと思っている。なるほど挑戦してもらいたいものである。彼の理論=受動意識仮説が正しければ、近い将来、作れるはずなのだから。
 受動意識仮説というのは、心(「知」「情」「意」「記憶と学習」「意識」「無意識」の総称)の主体は無意識に行われている神経細胞網の働きにあり、「意識」(この場合は「自我」かな)はそれらが見せるクオリア(感覚質)にすぎない。それを「意識」は、さも主体的に(自己決定で決断したかのように)行っていると錯覚している……ってことだ。そして、意識を意識している「ぼく」という存在(魂と言い換えてもいいのかな?)は、自己意識を意識したときに(神経細胞網が)「意識」という意味記憶をたどり、はじき出したクオリア、つまり「ぼく」は「ぼく」という感覚質にすぎない。霊でもなければ物質でもない。錯覚なのだ。 ……って自分でいうのも情けないが、説明ヘタですな。
 たとえていえば、前野氏の唱える「意識(自我)」とは、ハンバーガーショップのフロント係のようなものだろうか。店の顔であっても、ハンバーガーを作る工程を指示しているわけでもないし、その工程を熟知しているわけでもない。どこの牧場でどんなエサを食べているウシがどのように解体されてミンチになって、どこぞの香辛料をまぶされて、それをどのように各店舗に運び、どのような焼き加減で作り上げるのか、そんな工程をすべて知ったうえで、商品を出しているわけではないだろう。フロント係は、注文に応じて作られたものに、自分の意見をはさむことなく、客に出す。出したハンバーガーがどのような道をたどり目の前に現れたのか、考える必要はないのだ。
 しかし、「意識」のフロント係は、そのハンバーガーを、すべて自分の手で作り上げたものだと錯覚している。いや、プロならそのぐらいの思いで接客したほうが客受けするだろう。厨房のヒトビト(神経細胞)は、錯覚させておくほうが店のためだと思い、フロント係の思うままにさせているのだ……ってな感じ。……うーむ、やっぱり人様の理論を説明するのはむずかしい。もしかしたら、「そんな解釈じゃないです」といわれるかも知れないし(いや、これで納得したんですけど)、まあ、「意識ってなんぞや」ってことに興味がある方々にはオススメの一冊。
 なお、前野氏は、意識はエピソード記憶を定着させるために進化した機能であり、ヒトがもつ特有のものではなく、動物(哺乳類や鳥類)にもあるだろうといっている。モルモットにも意識(自我)がある? だとしたら、実験なんかにつかってきたことをどう考えればいいんだろう? 彼の考えが真実だとしたら、ヒトと動物の関係にもパラダイムシフトが起きそうな気がしないでもない。

4480842659脳はなぜ「心」を作ったのか―「私」の謎を解く受動意識仮説
前野 隆司

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投稿者 かめちゃん : May 14, 2005 11:51 AM

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