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2005年06月15日

マイケル裁判

2005-06-15.gif  マイケル・ジャクソンが無罪になった。別段、人物にも音楽にも興味はないけれど、「推定無罪」の精神が貫かれたことは評価できるんじゃないだろうか。推定無罪(って映画があったな。観てないけど)とは、「はっきりした証拠もなくどっちだかわかんないときは、無罪にするがよろし!」とする考え方だ。これは冤罪を防ぐための処置で、人権第一の国の常識。たとえ世論が「ヤツは黒だ!」と騒ぎ立てても影響されることはない。
 この国も人権第一の国だと思いたいのだが、仮に日本でマイケル裁判が行われたなら(これから始まる陪審員制度でも)、果たして無罪判決になっただろうか。これは少々、疑わしい。この国のいまの風潮では「推定有罪」、逮捕(容疑者)=黒(犯人)という認識が強いように思えるからだ。
 電車通勤をしているビジネスマンなら、だれでも「痴漢に間違えられたら人生おしまい!」と思ったことがあるだろう。「火のないところに煙は立たない」とばかりに、疑いがかかった時点で「黒」扱い。また、たとえ被害者であっても、「犯罪に遭うのは被害者にも落ち度があったから」とばかりに、被害者バッシングが起きたりもする。
 今朝のある情報番組で、マイケル裁判の判決を正当と思うアメリカ国民は「38パーセントしかいない」と報道していた。
「しかいない?」
 どうも、ひっかかる。なんでそんなに強調する必要があるのだろう。ちなみに判決をおかしいと思う国民は「48パーセント」。10パーセントの違いはそんなに大きいだろうか。もし、「世論がこんなに不服としているのに、それを通さないのはどういうことか?」という問題提起だとすれば、それこそおかしな話ではないか(政治じゃあるまいに)。
 ともあれ、「疑わしいだけでは罰しない」がいいのか、それとも「疑わしければ罰したほうが社会のため」なのか。後者であれば、「冤罪っていっても、ひとり(あるいは一家族)が犠牲になるだけ。それで被害者や世間の感情がおさまるならしかたあるまい」なんて考えもあるかも知れない。
 それなら、もし無実の罪で有罪にされたとしても「運が悪かった」と罪を償うことができるだろうか。「なに言ってんの。本当に無実だったら、裁判で必ず勝てるに決まってるじゃん」と本気で言えるだろうか。
 ともあれ、痴漢であれなんであれ「無実でもつかまったら人生おわり。有罪にされるかも知れない」なんて不安を抱え、たとえ無罪になっても「火のないところに……」といつまでもグレーに思われるような風潮は、居心地悪くないかいな。

投稿者 かめちゃん : June 15, 2005 03:14 PM

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