MENU
カメちゃんのお出かけ帳

チームマイナス6パーセント

かめちゃんのBlog

« ひさびさの『義経』 | メイン | アンドロイドのアンドーさん »

2005年07月14日

ホントに怖い昔話

2005-07-14.gif 子どもの頃に読んだ本で、ずっとトラウマ(っていうのかなぁ)になっている物語がある。大好きな亀(カメちゃんじゃなくて本物の亀)が空を飛んでみたいといって、鳥(鷹か鳶)に頼んで空に連れてってもらう。しかし、鳥は亀を落としてしまい、地面に叩きつけられた亀は死んでしまう。以上、終了。あまりになんの救いもなくてどう解釈していいのかわからなかった。亀は悪いことをしたわけでもなく、ただ、鳥のように飛んでみたかっただけだし、その要望を受けて、鳥は亀を抱えて飛ぶ。それだけなのに、なぜこんな結末にならなきゃいけないのかと、嘆いたものだ。もしここに教えがあるとしたら、能力を超えたことを望むときは、リスクを考えようね? ってことぐらいか? ……はともあれ、いま、子どもたちに世の中の仕組みやマナーを教える場合、どのような物語が読まれているのだろう。
 なぜそんなことを考えたかといえば、『アイヌの昔話』を読んだからだ。いつだっかたの首相が「日本は単一民族」なんてことを口走って責められていたが、日本にも少数民族はいるのだ。琉球の言葉もそうだろうけれど、アイヌ語は日本語とはかけ離れているし、彼らは文字をもたず、物語は口承で伝えられてきた。この昔話は、消え行くアイヌ語やアイヌの文化を残そうとして日本語に訳し、編まれたものだ。
 彼らの物語は、神様(万物に宿る万の神)やアイヌ(=人間という意味)が、一人称で語るものが多い。「わたしはどこどこに、だれだれと住むアイヌです」とか「わたしは神の国から○○のために遣わされた○○の神です」とか、そういう言葉から始まる。そして、ほとんどが教訓話で、最後は「だからいまいるアイヌよ、わたしのようなことをするな」というコメントで終わる。
 で、その教訓話だが、これが怖い! というか非常に残酷な話が多い。もちろん、よいことをして、ハッピーエンドに終わるものもあるけれど、懺悔話のほうが、強烈に印象に残る。これはアイヌの昔話だけではなく、世界中で語り継がれてきた物語もそうだろう。
 たとえば、神様から預かった宝箱(これを持っていると狩りが思うようにいく)を長い間返さなかったばかりに、自分の子どもを串刺しにして食べてしまった(話の流れはちゃんとあるが、結論はそうなる)とか、育ての親をないがしろにしたばかりに、木にくくりつけられ無残な死に方をした若者の話とか……。いまの子どもにはきっと、読み聞かせたくない話だろうなぁ……と思うわけで……。ってことで、いまの子どもたちは「やっちゃいけないこと」をどのようにして学ぶのか、疑問に思ったわけだ。
 たぶん、昔も今も、物語はその役割を担っているのだろうとは思う。しかし、身近にあるテレビアニメやドラマでそんな残酷な結末をやったら抗議殺到はまず間違いないだろうし、絵本や童話も感動ものばかりが売れていたりする。「残酷=恐怖を植えつけて教育する」よりも、「感動させて教育する」方針ということだろうか。まあ、どちらがいいのかはわからないけれど、子どもの頃に読んだ残酷な物語はいつまでも心から消えないことは確かだ。

4582760201アイヌの昔話―ひとつぶのサッチポロ
萱野 茂

平凡社 1993-09
売り上げランキング : 196,831

Amazonで詳しく見る
by G-Tools

投稿者 かめちゃん : July 14, 2005 10:55 AM

コメント


コメント用ボックス

コメントをお寄せくださる際は、お名前(必須)、メールアドレス(必須)、URLをご記入ください。




保存しますか?