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2005年08月16日

失望のイージス

2005-08-16.gif やっと観ました。映画版『亡国のイージス』。いやぁ~、裏切ってくれましたね~。まるで、おもちゃみたいな映画でした。金をつぎ込めばいいってもんじゃないですね。関わったクリエイターのみなさん、一度、海に沈んできてください。
 とはいえ、かなり制約があったんでしょう。なにしろ防衛庁が協力している映画ですから。お国として認められないシチュエーションは、バサバサ切られたんじゃないでしょうかね。そもそも原作者も関わっている映画なので、原作と映画では、描きたいことが別だったのかも知れません。つまり、映画=娯楽でいいのかと。でも、娯楽映画としても、失敗してないか?
 人物描写や事件の背景を事細かに描いていた原作を、たった2時間の映画に編集したのだからしかたがない……と思える部分はまあ、おいといて、決定的に違うのは、ラストの描写から受け取れるメッセージだ。
 原作では、仙石(自衛官)や如月(DAISの秘密工作員)は退隊し、渥美(DAISの部長)も退職してしまう。つまり国のために働くことをやめて、一般人として生きていくところで終わるのだ。映画では、仙石は再び自衛官として護衛艦に乗っている。引き続き国のために働き続けている。
 原作を読み終えたとき、いったいどうして、3人を一般人にしてしまったのか? と、考えた。「国のために生きてきた人生」から降りて「自由に自分の人生を生きていく」ことを選んだ(選ばされた)主人公たち。映画のように引き続き、国のために働き続けたほうが「かっこいい」ラストになっただろうに……。
 でも、この小説はかっこよさを求めたアクションサスペンス小説ではない。守るべきものがないと、現在の国を批判しているわけでもない。ただ、平和というものは、空気のようにあるのがあたりまえというものではないと訴えているのだ(と解釈した)。だけど、そのために「国のために生きよ」とは言っていない。それがあのラストが象徴していたのだと思う。
 で、映画はまるで逆である。(ヨンファのいう)戦争の悲惨さ(リアリティ)をまったく映像化せず(小説はむごいよ)、「これが戦争だ」と音楽や言葉だけで観客を鼓舞し(失敗していたけど)、平和にかまけている日本人(電車の中で黙々と携帯をやっている人々の映像)がさも堕落しているような演出。それに引き換え、国のために、信念のために命を張る自衛隊員のかっこよさ。なぜ、ラストに仙石を陸に下ろさなかったのか。国という組織の汚さをいっさい描かず(事故にしやがって)、ただ、かっこよさを全面に打ち出したあたりに、この映画の意図が見えた気がした。
 ま、そんな意図があったとしても、ほとんど伝わらなかったかもね。

投稿者 かめちゃん : August 16, 2005 01:38 PM

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