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カメちゃんのお出かけ帳

チームマイナス6パーセント

かめちゃんのBlog

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2005年11月30日

国の援助と民の援助

2005-11-30.gif はやいもので、11月も今日で終わり。今年も残すところあと1ヶ月である。今年はどんな年だったかなぁ、と思い返してみると、昨年末のスマトラ沖地震で始まり、アメリカ南部のハリケーンに、パキスタン地震……と、大きな自然災害ばかりが思い出される。で、いまは欧州が大寒波。どうなっているんでしょうか。
 今月の『ナショナルジオグラフィック』には、南米のハリケーンの記事と、「世界から忘れ去られた被災者たち」というタイトルで、インドネシア(スマトラ沖地震)、イラン(2年前の地震)、アフガニスタン(戦後の政情不安)、ウガンダ(紛争)における国際支援の記事が載っていた。
 地震にしても、紛争にしても、その直後はニュースになり人々の関心が寄せられるけれど、時間がたつと忘れさられてしまう。アフガニスタンがいまどうなっているかなんて、この国では、もう話題になることはほとんどない。
 そんな記事のなか、妙に目をひいたのは、スマトラ沖地震の各国の人道支援額のグラフである。それは、各国が公に表明した支援額と実際の拠出額の比較をあらわしていた。金額を表明しておきながら、実際はその半分(8分の1ってとこもある)も拠出していない国があったりして、なんだかなぁ……である。が、そのなかにあって、日本はエライ! 表明した5億ドルのほぼ全額をすぐに拠出。それに比べて、アメリカは3億5000万ドルを約束しておきながら、実際は、1億3000万ドル程度しか拠出していない。イギリスもそのぐらい(ただし、イギリスは表明額よりは多い)。ともかく、日本は援助額としては、ダントツ1位なのである(記事のグラフは、6月29日現在のもの)。
 いやぁ~、日本はエライ! 借金だらけの国なのに、それなのにエライ! などと思いながら、記事を読んでいくと、世界の国(政府)からの援助総額が22億6000万ドルだったのに対し、世界の人々(民間)からの援助総額は、42億ドルだという。国よりも個人や企業の支援額のほうが上なのだ。
 で、アメリカの民間援助総額はというと、15億5000万ドル。日本の民間援助額は、約1億7000万ドル。アメリカの人口は日本の約2.4倍あるとしても、その差は大きい。記事だけ読むと、日本は援助も国まかせかぁ……と少々、がっくり。とはいえ、それでもかなりの額であることは確かだが。
 とはいえ、この記事は、援助額が多い少ないをどうこういうのが目的ではないようだ。マスコミが大きくとりあげた災害には民間も含めて国際援助の手が大きく伸びるけれど、すでにニュースとして新鮮味を欠いた災害に関しては、急激に無関心になってしまう世界の国(人々)について「どうよ?」と問題をなげかけているのである。
 そうはいっても、自分の生活も苦しくなってきたし、ニュースにならなくなった被災地のことまで気が回らないのは確かである。民間は忘れてしまうのも早いのだ。だから「ご心配なく。税は上げますが、その分、国がかわって援助もしてますから~」っていうのがやっぱりいいのだろうか……なんて、記事を読みながらも、「ホッキョクグマに迫る温暖化」という次の記事のほうが気になってしまったりして……。

投稿者 かめちゃん : 01:00 PM | コメント (0)

2005年11月28日

NスペとNネットワーク

2005-11-28.gif 昨夜のNスペ『モノづくり 職人たちの攻防~日本VS中国』を観て、久しぶりに「なんでこんな国になったかなぁ」と社会のことに目が向いた。日本の技術者が中国の若者に技術を伝達するも、伝授したとたん独立され、中国企業が力をつけていくという現実。かたや日本の若者は、仕事がなく、アルバイトで日々をすごす……。将来は、中国企業が日本人を安く使う時代になるのかも知れない。
 また、午前中は、『NHKネットワーク』で関西テレビのドキュメンタリーを観た。『三畳間からの再出発』というタイトルで、かつて路上生活をしていた人々が住む一部屋三畳間の共同住宅、その住民が集まって、かみしばいを作り、施設で上演したり、フェスティバルに参加したりして、ふたたび、社会と接点をもっていこうとする姿を描いたものだった。
 かつて西陣織の柄を描いていた職人や、ペンキ屋さん、それに元公務員で作家をめざしていたというインテリ系のおじさん。実に才能のある人々が、苦しい生活に追い込まれている現実を知り、正直、驚いた。どうしてこういう人々が、生活保護をうけなければならない社会になっているんだろう。彼らなら、十分働ける。しかし、けっきょくは仕事がないわけだ。いや、仕事はあるけど、みんな雇用の安い海外にいってしまう。日本の仕事のノウハウは、海外の人々にうけつがれてしまっている。
 なんだかなぁ……いいのかなぁ……なんでこうなっちゃったのかなぁ……と、考えてもしかたあるまい。とはいえ、ウチの裏の河の橋の下には、ふたりほど、路上生活者がいる。彼らの姿を見るたびに、やっぱりどうしてかなぁ……なんで生活保護も受けられない(あるいは受けようとしない)路上生活者がこの豊かなはずの国にいるのかなぁ……と考えてもしかたないことを考えてしまう。せめて、ドキュメンタリーにあったような、誰でも住める部屋(家賃は必要だが、生活保護費から出せる)があれば、こんな寒い河で過ごす必要もないのだが(この市にはそういう施設はないのか?)。
 今後、ますます、貧富の差は開き、弱者には厳しい世界が待っているといわれている。そのうち、中国にわたり、かつて日本人が中国人に教え込んだ技術をふたたび、中国人から受け継ぐ人々もでてくるんだろう。とはいえ、いまの若い人々に、日本の技術が受け継がれない現実は、やっぱり悲しい(し、変じゃないか?)

投稿者 かめちゃん : 11:59 AM | コメント (0)

2005年11月26日

今頃Nスペ『サイボーグ技術が人類を変える』

2005-11-26.gif 今月はじめに放送されたNHKスペシャル『サイボーグ技術が人類を変える』(レポーター:立花隆氏)を録画で観た(本放送はすっかり忘れていて、再放送は寝てしまった!)。内容は、ひとことで言えば、「脳」=「電気信号で動く機械」であることを(ある程度)証明する技術の紹介である。
 医療への応用としては、人工腕、人工眼、人工内耳など。失われた身体の機能を機械に置き換え、それを神経回路に接続、訓練をつめば脳は適応し、本物と変わりなく動かす(機能する)ことができるようになる(とはいえ、まだ完成された技術ではない)。また、脳(の一部)を機械制御する技術も進んでいる。パーキンソン病やうつ病などの脳の機能障害治療としての応用だ。患者の脳に電極を指し込み、人工的に電気刺激を与え症状を抑えるのである。これまで寝たきりだった患者が自分の足で歩き、馬にも乗れるようなった映像レポートは、明るい未来を約束するような、説得力がある。
 が、明るいばかりではない。負の一面としては、軍事利用。パワードスーツ(装着すれば、人の能力を超えた腕力や脚力が持てる=100キロの荷物も楽々)やロボマウス(脳をコントロールされ、人の思い通りの行動をする実験マウスくん。本能的に恐怖を感じることを快楽を感じるように変えてしまうことで、思い通りに動くようになる)の兵士への応用だ。まあ、アニメやSFの世界では既存の概念なわけで、とうとう現実も追いついてきたか、という感じである。
 技術というのは常に、いい面と悪い面がある。医療や生活向上のために使われたら、ますます便利で快適な人生が待っているだろうし(後で問題が起きることも多々あるが)、軍事や犯罪目的に使われたら、またえらい悲劇が起きるだろう。問題は誰が、何のために、どのように使うかにあるけれど、けっきょく、両面で使われることになるんだろう。それこそ、脳コントロールで全人類の心をお釈迦様のようにしてしまえば、軍事や犯罪に使われることはなくなるかもしれない(お釈迦様だと、いい面でも使わないだろうけど)。でも、そんなことができるわけがないし、そもそも、そんなことしたいだろうか?
 番組の感想を書いたブログやBBSをめぐると、サイボーグ技術の発展にショックを覚え、危惧する人は少なからずいるようだ。が、たとえ、負の側面はあったとしても、個人的には進めるべき興味深い技術だと思う。自分が使いたい、ということではない(もちろん、身体が不自由になったときはわからないが)。ただ、「脳」がいったいなんなのか、知りたいのだ(ただの好奇心ですな)。
 いまは、自分の意思だと思って行動しているけれど、果たして本当に自分の意思なのか、実はよくわかっていない。脳は都合のいいようにもの(感覚や記憶)を解釈するし、しょせん、生物は遺伝子の乗り物だとドーキンスはいっているし。しかし、自分の意思だと思い込んでいることだけは確かである。だとすれば、たとえ「実はあなたの脳には電子回路が埋め込まれており、わたしがコントロールしていたのですよ」と言われたとしても、「でも、これは自分の意思です」と思ってしまうのではないかと思うのである。もし、それがすばらしい人格で、満足している人生だったら、コントロールされていようがなんだろうが、自分の意思だと思えればそれでよし! となったりしないだろうか。醒めない夢なら醒めないほうがいい……ってな感じで。あ、これって、『マトリックス』のテーマ? しょせん、人が考えることって、同じか(これもなにかのコントロールかしらん?)
 ともかく、脳の話は興味深い。番組の最後に、「身体改造で人間の定義が変わるのではないか?」というような問いかけがあったが、たぶん変わらないと思う。生物学的分類については悩むところなのかも知れないが、人間は同じ生物であっても、ほかの動物とは違うと思い込んできたし、「人間は人間」という意識から抜けないだろう。改造人間と非改造人間の間に差別は生まれるかも知れないが。もちろん、遺伝的にどう変わるのかはわからないけれど、それでも意識は「人間は人間」としか思わないんじゃないだろうか。
 また「人間はこの先、どこまでいくのか?」とも問いかけていた。それは、いままでと同じように、想像してSF小説でもアニメでもいいから、描いてみるのが一番じゃないだろうか。その影響で、現実化させようとする人々が、またでてくるわけですからな。

投稿者 かめちゃん : 03:54 PM | コメント (0)

2005年11月24日

お弁当日記(その1)

2005-11-24.gif 豚と牛を食べなくなって三ヶ月ほど。ごはんは玄米。……で、胃腸の調子はすこぶる良好!(胃腸だけなんだけど)。まあ、そんなわけで、アメリカ牛の輸入再開なんてニュースも「どうでもいいや、どうせ食べないし」と興味がない。加工品も「牛脂」「豚脂」という表示のあるものは避けている。健康を考えれば、動物性食品はいっさい摂らない! のがいいのだろうけれど、そこまでは徹底できず、鶏と魚と乳製品は摂ってしまう。が、食材はできるだけ有機、自然食品を心がけるようにはなった(高いんだけどさ)。
 で、この1週間ほど、昼は弁当も作っている。自分の分なら見た目はどーでもいいけれど、culiに持たせる弁当は、やっぱり会社で広げるわけで、見た目はどーでもいいとは割り切れない(見栄、見栄、見栄)。
 緑(葉っぱ類)と赤(トマト)は毎度確保できるのだが、ほかの色がむずかしい。黄色は卵を使えばいいのだが、朝、食べるので昼には入れたくない。で、たいてい黄色はコーンかかぼちゃ。もう一色……ってことで、見つけたのが紫色のイモ! である。原産地は種子島。サツマイモの一種でお菓子によく使われている甘みの強いイモだ。
 これをふかして潰して牛乳(もっと甘くするならはちみつ)を入れてねる。で、丸めて(ここまででもいいんだけど)、片栗粉をまぶし、ふたたびふかすとねっとりしたイモだんごができる。これがけっこうおいしい。もしいっぱいあまったら、牛乳に溶かして火にかけイモポタージュなんてものも作れる。
 なーんて弁当の中身を毎日考えていると、これって、けっこう頭使うのね。お子さんたちの弁当を毎日つくるお母さん(お父さん)の苦労がよくわかった。冷凍食品のような便利で簡単な具を使わず、安全な食材から手作りで作るとなると、夜の仕込みに1時間、朝の調理に1時間と手間がかかるものである。
 世の中の流れは「男性も女性も働くように」となっているけれど、忙しすぎると、つい食事(家事)に手を抜くことになる。ファーストフードや冷凍食品であれば、ものの15分でしたくはできるかも知れない。だけど、食の安全を少しでも調べ始めると、それらに頼ることは、怖くてできなくなってしまう。
 誰もが時間と場所に縛られず、生活に余裕を持って仕事ができる時代がくればいいのになぁ……と、弁当を作りながら考えてしまう。食事と睡眠、趣味と仕事。「仕事第一」ではなく、この4つがバランスよくとれる社会なら、ストレス知らず、病気(生活習慣病)知らずでいられるだろうになぁ。


【今日のお弁当】
・サーモン(切り身を味噌、しょうが、酒、しょうゆで下味をつけて丸めて焼いたもの)
・野菜1(ほうれん草、スナップエンドウ、ベビーコーンのゴマしょうゆ和え)
・野菜2(ミニトマト)
・野菜3(ごぼう、にんじん、たけのこのあっさり煮)
・野菜4(まいたけ、小松菜のホタテスープのあんかけ)
・野菜5(紫イモのふかし)
・ごはん(雑穀入り玄米、うめぼしつき)


投稿者 かめちゃん : 12:03 PM | コメント (0)

2005年11月21日

マンション建築

2005-11-21.gif 今夏からずっと、部屋の目の前ではマンションの建築工事が進められている。仕事机が窓に向いているため、カーテン越しに、工事のおじさんたちの働く姿が目に入ってくる。9月頃にはその工事の音がうるさくて防音シートまで買った(なのに、購入直後には鳴り止んでしまった。5000円もしたのにぃ……)。そんなわけもあって、工事のおじさんたちに向ける目も敵愾心にあふれていたわけだが、日々、彼らの仕事ぶりを見ていると「まじめに、がんばってるなぁ」と気持ちが穏やかになってきた(音がやんだせいだろうけど)。
 朝8時の掃除からはじまり、昼はきっかり休憩1時間とり、雨の日も風の日も(?)寒空の下、夕方6時までまじめに働いている。日曜日は休みのはずなのに(作業はしなくても)、誰かがやってきては状態を確認している。彼らの態度からは、自分たちが着々と作り上げてきたものへの誇りと愛情を感じとれるのだ。
 数日前、建築士が耐震強度の計算式を偽造していたというニュースがあった。偽造されたのは首都圏のマンションやホテル20棟ほど。そのうち数軒が「あなたのマンション(ホテル)は震度5の地震に耐えられません」なんて通告され、住民や経営者は、怒りと戸惑いと悲しみで大混乱を起こしているようだ。そりゃそうだろう。いつ地震が来てもおかしくないといわれているこのご時世。スマトラ沖に続き、パキスタンの悲惨な地震報道がかけめぐったばかりなのだ。
 この手の話で怖いのは、原因が個人の問題というよりも、むしろ業界の体質だった場合である。だとすれば、これは氷山の一角に過ぎないのだから。
 実は、我がマンションがまだ建築中のとき、工事のおじさんたちが愚痴っているのを耳にしたことがある。細かい内容は忘れてしまったが、「時間がないのに無理だよ」みたいなことを言っていた。時間がないというのは、納期のことだろう。で、その~、なにが無理だったの?
 そのときはあまり深く考えなかったし、こんなニュースがあるまで忘れていたが、いまになってみると気になる。現場の人々はがんばっていいものを作ろうとしているのに、設計士や発注者が納期やコスト削減のために無理を言ったり偽造したりでは、現場の人々も救われまい(それでいて、ギャラはそっちのほうが遥かにいいんだもんな)。
 こういう問題が起きたら、被害者住民は当然として、現場の人々も、もっと怒るべきじゃなかろうか。目の前で今日もがんばっている工事のおじさんたちを見ていると、彼らもまた犠牲者に思えてくる。ただ、経験上「こんな設計で大丈夫なのか?」と思わなかったのかどうかはわからない。もし、変だと思いつつも「自分の責任じゃないし」と問題を棚上げしてしまったなら、同罪だけどね。

投稿者 かめちゃん : 11:50 AM | コメント (0)