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カメちゃんのお出かけ帳

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かめちゃんのBlog

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2005年12月31日

大晦日

2005-12-31.gif

 あっという間に大晦日。
あまりにのんびりしていたので、今日は買い物、掃除とあれこれやること山積み! ってことで、あいさつのみ。
 今年一年、ご閲覧ありがとうございました。
 来年も遊びにきてくださいませ。
 では、いいお年をお迎えください。
 ご機嫌よろしゅうに。

投稿者 かめちゃん : 11:34 AM | コメント (0)

2005年12月30日

いまさら『インディー・ジョーンズ』(その2)

2005-12-30.gif 引き続き『インディージョンズ』。今日は第二弾の『魔宮の伝説』である。昔テレビで観たのはこれだと思うのだが、ストーリーは覚えていなかった。邪教集団の儀式で、燃えたぎる火口に人間のいけにえが捧げられる残酷なシーンだけは印象に残っていたけれど、有名なトロッコのシーンは「なんとなくあったような……」程度。結局、このシリーズは、後にひくタイプの映画ではなく「観てスカッとして忘れる」といったお気楽娯楽映画なのだろう。
 が、トロッコのシーンといい、邪教集団が高山の地下でさらってきた村人(映画では子どもたちだったが)に強制労働させていたりと、どうも『ドラクエV』を彷彿させる。これ、どちらが先? って映画ですね(映画は1984年。ドラクエVは1992年)。ドラクエは影響うけてますよね、絶対。ということは、「観てスカッとして忘れる」という人々だけでなく「観てスカッとしたから自分も創る!」と刺激を受けた人々も少なからずいたのだろう。
 確かに、前作よりもスピード感がありコミカルで、エンターティメントとしては洗練されていたと思う。アクションシーンはアメコミのノリなのだろう。あいかわらず人を簡単に殺しすぎ! だけど、その殺戮方法がマンガチックなのだ。いまのアメリカだとR12がつきそうな気もするが、どうなのだろう。が、暴力よりもインドの扱いが……ひどくない? まあ、この時代はまだ仕方がないのかも知れないけれど、西洋人独特の東洋(=野蛮、非文明)史観がひっかかる。邪教集団だけでなく、村人もゲテモノ系食ってたようだし。映画の舞台は1935年、インドの農村が荒廃し餓死者が後を絶たなかったのは、邪教集団のせいじゃなく大英帝国のせいだぞ……と言ってみる。
 とはいえ、この邪教集団(サギー教)のモデルになった殺戮集団は実際にあった。200年以上(500年以上とも)にわたりインドに巣食っていた強盗教団(サギー、サギズム)である。映画同様、カーリー神(もっとも過激な破壊の女神。シヴァ神の奥さんのひとり)を都合のいいように解釈し、殺人を正当化、神へのいけにえ(本当はだたの金品狙い)で旅人を殺し続けた。19世紀の神秘思想家、ブラヴァツキー夫人の著書『インド幻想紀行』には「イギリスのインドでの功績のトップは、この殺戮集団を完全に抑圧したこと」てなことが書かれていた。
 映画では、この完全に抑圧したはずの強盗教団が復活を狙い、シヴァ神の聖なる石=サンカラ・ストーンを集めていた。インディ・ジョーンズは、盗まれた石と連れ去られた子どもたちを救うために邪教集団の宮殿に向かう……。
 実際のサギーには、イスラム教徒もキリスト教徒(ポルトガル人、イギリス人)も混ざっていたらしい。映画のように、崇拝者はみんなターバン巻いてるヒンドゥ教徒(といっても曲解したカーリー信者)だけではなかったようだ。野蛮なのは、東洋人ばかりじゃないのだよ。
 なお、この殺戮集団の殺し方は絞殺である。映画のように、心臓をわしずかみにして火口に落したりはしない。彼らは道に迷った振りをして旅人に同行し、ひと気の途絶えたところで後ろにまわり、聖なるハンカチで一瞬で締め上げる。相手は気づかないうちにあの世行き(一瞬で殺せるツボがあるらしい。ひょえ~)。この話は以前、インドについて調べていたときに、いくつかの文献で見かけたものだ。イギリス人にとって、サギーはよほど怖かったんだろう。
 前作のアークは聖書に記された歴史上の秘宝だけれど、サンカラ・ストーンはどうなのだろう(知らないのだが)。サンカラというのは混合カースト(カースト制度を乱す=平和を乱すもの)の意味があるらしいが、映画ではシヴァ神から聖石を授けられた高僧の名前となっているようだ。その聖石とは、実はシヴァのリンガ(=男根。シヴァ神の象徴なのです)。ヒンドゥ教では、場所や石などの事物に神が宿るとされており、それが「聖なるもの」として崇拝の対象となる。映画にあった村の人々は、リンガをかたどった石を崇拝していたわけだが、そのような村は現実にもたくさんあるのだろう。ところで、なんで5つ?
 映画では、サンカラ・ストーンは5つあるとされていた。これはなんでなんだろう。シヴァ神は、三つの頭を持つリンガの姿をして現れたりもするようだが……なんで5つ? もともとそういう伝説なのだろうか(原典はなに?)。ちなみにカーリー神は夫であるシヴァ神を踏みつけて現されたりする。暴走した彼女の殺戮行為をとめるため、シヴァはあえて踏まれ役になったとか。多神教の神様たちは、おもしろいですな。
 「観てスカッとして忘れる」はずの第二弾。が、なんで5つ? と疑問が残って忘れられない。ま、今晩、第三弾を観て忘れます。

【参考文献】
『ヒンドゥー教』 山下博司著
『インド幻想紀行(上)』 H.P.ブラヴァツキー著
ほか

投稿者 かめちゃん : 04:04 PM | コメント (0)

2005年12月29日

いまさら『インディー・ジョーンズ』(その1)

2005-12-29.gif いまさらながら、スピルバーグ監督の『インディー・ジョーンズ/失われたアーク』をDVDで観た。不朽の名作(?)といわれながら、実はちゃんと観たことがない。3部作のうちのどれかをテレビ放映で観た記憶はあるのだが、それがどのシリーズだったのか覚えていない。ってな話を、『ヒストリーチャンネル』の「失われたアーク」を探すドキュメンタリーを観ながらしていたら、culiが発売されたばかりのDVDボックスを買ってくれたのだ。
 映画を観た感想に入る前に、ヒストリーチャンネルでやっていたドキュメンタリーの話を少し。失われたアークというのは、旧約聖書にでてくるモーゼの十戒の石版のかけらが入っている箱のことである。モーセがアカシアの木から作ったとされており、表面は金で覆われ、ケルビルという天の動物(「聖なるモノ」を守る役割を与えられているそうな)の像が二体設置され、じかに箱に触れないよう、長い棒が添えられている。ソロモン王の時代に、エルサレム神殿に収められていたが、いつしかなくなってしまったらしい。そのいきさつが聖書には書かれていないため、いろんな説があるようである。
 そのドキュメンタリーでは、シバの女王の息子がソロモン王に謁見した際に持ち出したという説を追っていた。現在は、エチオピアのアクスムにある聖母大聖堂に安置されているという。その聖堂へはひとりの司教のみ入ることを許されているらしい(というか、そこに住んでいて、生涯、聖堂からは出られない!)。……ってことで、残念ながらそのレポートは、その聖堂の前で終わる。アークは本当にあるのか? それは本物なのか? という検証は、どうやら審判の日まで(あるのか?)できそうにない。まあ、そんな詮索はするべきではないのだろう。エチオピアの信者たちは、本物と心底、信じているのだ。その信仰心に波風立てるのはよろしくない。
 さて、映画『失われたアーク』の話。まだコンピューターのない時代(1981年公開)である。大量のヘビは、本当に大量のヘビを用意し(いまならCG処理だよなぁ)、邪魔な街のアンテナはすべて撤去し(やっぱりいまならCGだ)、火災現場は、本当に火の中で撮影している(これはいまでもやっていそう?)。まったく、この時代の映画制作は命がけだなぁ……と、本編よりもメイキング映像に驚きました。
 ストーリーはいまさら語るまでもなく、単純明快の冒険活劇でした。複雑な複線もなく、ただ素直に観ていれば楽しめる。とはいえ、複雑なストーリーの映画を見慣れたいまの子どもたちにもウケるかどうかはわからない。あと、人や動物を安易に殺しすぎなのと、女性の扱いが色物的……というのは気になったけど、それは時代的なものなんでしょう。
 ……と、語るべき感想が実はあまりない。とはいえ、今日はシリーズ第二弾を観て、あさっては第三弾を見る予定。「全部みなきゃ」という気分にさせるのは「感想なんて語ることはない。映画は楽しければそれでよし!」ということなんでしょうな。

投稿者 かめちゃん : 01:22 PM | コメント (0)

2005年12月28日

しめ飾りと餅つき

2005-12-28.gif スーパーの特設会場(ってほどの広さではないが)で、しめ飾りを売っていた。いろんな種類があり、興味本位でながめていたら……ひとつ買ってしまった(来年の干支=犬のオブジェがついていて、かわいかったのだ)。
 子どもの頃、家ではきちんと正月飾りをしていた記憶があるのだが、独立してからはそういう習わしも忘れてしまっていた。なので、買ったはいいけど、さて、いったいいつから飾ればいいんだろう……。実はそんな基本的なことすら覚えていない。
 ってことでウェブで調べてみた。そもそも正月のお飾りは、年神さまをお迎えするためのものだそうで。年神さまというのは、地方によって解釈が違うようだが、ウィキペディアに載っていた柳田國男の説がわかりやすい。
 年神とは……一年を守護する神、農作を守護する田の神、家を守護する祖霊の3つを一つの神として信仰した素朴な民間神。
 なるほど、お正月というのは、この年神さまを迎えて「今年1年、無事に過ごせますように……」と祈る儀式でもあるのだろう。そのお迎えのための準備は、28日までに済ませるのがいいようだ。29日は9という数字が「苦」を意味するので避ける。31日は一夜飾りといって、年神さまに失礼にあたるのでそれも避ける。あいだの30日は、あわただしいから駄目という地域もあれば、OKという地域もあるようだ。ともあれ、28日までに飾っておけば問題ない。ってことで、さっそく、玄関に飾った。
 が、年神さまを迎えても、家にはおもてなしするものがない。おもてなし=お供え物。それが鏡餅である。なんと、そんなことすら知らなかった(常識知らず~)。鏡餅も28日までに用意しなければならない。どうしよう……買い物いくの面倒だし……ってことで、つくることにした。
 もち米を炊飯器で炊く→大きめのボール型の器に入れる→すり鉢の棒でひたすらつく
 はじめてやってみたが、できるものですな。子どもの頃、家には「自動餅つき機」というのがあって(CMを見た父が、「これいいな! 買おう」と即決して、即買いした)、つくところまでは機械がやってくれた。そのあと家族で丸める(丸めながらつきたてを食べる!)。それを思い出しながら、片栗粉をまぶして丸めてみたものの、すぐに崩れてとなりのモチにくっつく! うーむ。むずかしい。2005-12-28-2.jpg
 で、こんなにペタンコなのしか作れませんでした。でも、味はいいですよん。

投稿者 かめちゃん : 03:39 PM | コメント (3)

2005年12月27日

読書『拒否できない日本』

2005-12-27.gif  昨日の日記で「書店で在庫切れした本は、アマゾンで注文する……」というようなことを書いた。アマゾンは、言わずと知れた米系オンラインショップである。ここなら小部数の本でも取り扱っているし、書店に取り寄せを頼むより面倒がない。が、たとえ新刊であっても(書店には山積みになっていても)、アマゾンでは買えない本があるらしい。
『新選組!!』のガイドブックと一括発送で注文した本が先行して昨日届いた。日記に書いたように、ガイドブックは年明けになってしまうため、先に送ってきたのである。アマゾンでは1500円以上で送料無料となる。ガイドブックだけではその条件を満たさないため、目に付いた新書を1冊買い足していたのだ。つまりこの本は、どうしても読みたい! という本ではなかった。が、梱包を開け、手にとってページをめくってみたら……とまらなくなってしまった。
 実はこの本、つい最近までアマゾンでは、扱っていなかったらしい。この本を読破した後、ほかの読者の感想を聞きたくてブログをめぐっていたら、そんな話にぶつかった。初版発行は昨年の4月。書店に行けば当然あるにも関わらず、アマゾンでは入荷は1年先! となっていたそうな。この話はかなり前に話題になったようで、「なにをいまさら」って思う人が多いかも知れない。ともあれ、アマゾン側の回答がないため理由ははっきりしないようだけれど、この本の内容からして「日本人には読んでもらいたくない(特に選挙前には)」という経営的あるいは政治的意図があったといわれてもしかたあるまい。アマゾンは「都合の悪い本は売らない本屋」のレッテルを貼られても反論できないだろう。
 この本――『拒否できない日本』(関岡英之著/文春新書)は、毎年アメリカが日本に突きつけている「年次改革要望書」なるものを調べあげ、日本政府が驚くほどその要望書どおりに政策実行してきた状況を報告している本である。簡単にいってしまえば、日本という国は、アメリカが描いたシナリオ通りに動く国であり、そのアメリカ流の「改革」が、日本のためになると信じて疑わない国であるという話である。が、著者は、調べれば調べるほど、その「改革」は、アメリカ企業、アメリカ国民のためのものであり、日本にとっての国益が見られないどころか、日本は独立国としてのアイデンティティをも失うという危機感を抱くに至ったようなのだ。
 その判断が正しいかどうかはさておき(本を読む限りでは、信じる理由は十分ある)、この本からは別のメッセージ――「いい加減、テレビや新聞などから与えられる情報やイメージを鵜呑みにせず、自分自身で調べ、分析し、自分の頭で考えるようにしましょうよ!」――も受け取った。なにしろ、この本の内容は、自分の経験からの考察に加え、誰でも閲覧できるウェブサイトや図書館などの資料によってまとめられているのだ。何も特別な立場にいたために調べることができたわけではない。それでいて、目からうろこが落ちるような重要な情報を、説得力のある報告書としてまとめあげたのだ。
「なにかおかしい」と思ったら、人に聞く前に(安易な情報を信じる前に)、自分で調べ、考えてみること。新入社員が上司から最初にいわれるような、あたりまえのことである。そうしなければ、決して本質がつかめず、理解には至らない。ヘタをすれば、情報を提供する側にいいように利用されるだけだ。そしていま、日本人はその「ヘタ」をしてしまっている。そのことに気づいている人があまりに少ないのではないか?……そんなことを考えさせられた。
 ところで、この「年次改革要望書」という存在を、いったいどのぐらいの人が知っていただろう。毎年10月に提出されているものだそうだが、日本のメディアがこの話題をとりあげることはまったくといっていいほどないようだ(この本で初めて知ったという人が多いようである。当然、自分も)。つまり、メディアは、ニュースにする必要性を感じていないというわけだ(あるいは知らせたくないのかも)。
 が、著者は「数年後の日本がどうなるかを知りたければ、この報告書を読めばわかる」と書いている。それが本当なら国会中継を放映するよりも、よっぽど有意義だ。とはいえ、ニュースにならなくても、この報告書は、米国大使館のウェブサイトで公開されているので、誰でも閲覧できるというもの。ちなみに今年提出されたのはこちら。郵政民営化の要望(→決断を歓迎!)も載っているし、これから整備されるであろう法務制度の改革、医療改革などの要望もある。
 法務制度の改革にあたっては、「外国弁護士に対する提供の自由確保」がトップにあがっている。つまり、アメリカのような訴訟社会にして、ありあまっているアメリカの弁護士に日本で活躍できる機会を与えよ、といっているわけだ。ちょっとしたことでも裁判に訴え、金銭で解決しようとする社会の到来である。本に書いてあるようにマクドナルドでコーヒーをこぼして火傷したら、熱いコーヒーを出したマクドナルドが悪いと訴え金を得る。アメリカで実際にあったというこのようなトラブルネタは、訴訟を起こすために作られていくものだという。そんな訴訟社会も未来の日本像のひとつというわけ。「まあまあ、お互いさまですよ」と許しあう日本人の気質は「あなたのせいですからね。弁償してください。なんなら裁判で片をつけましょう」という気質に変わっていくのだろう(というか、もう変わっている?)。
 そんなアメリカ流の社会を望み、アメリカに頼っていれば大丈夫と信じている人が多いならしかたあるまい。が、改革の結果、訪れる社会を想像しもせずに「改革」=「日本が良くなる」と漠然と思っているだけなら、きっと、多くの人が後悔するような結果になるだろう。もうひとつの話題作『下流社会』(三浦展著/光文社新書)を読んで「ヤバイ、オレって下流層だ」などと納得する前に(といいながら、読んで納得していたのだが)、こちらの本を読んで「本当にヤバイのはいったいなにか」を考えてみてはいかが?

拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる拒否できない日本 アメリカの日本改造が進んでいる
関岡 英之

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投稿者 かめちゃん : 02:51 PM | コメント (0)