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2006年01月20日

ドラマ『白夜行』(第二話)

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 東野圭吾氏の原作! ってことで観始めたTBSドラマ『白夜行』。小説はようやく昨日から読み始め、ただいま第四章(十三章まである長編です)。ドラマは加害者の二人の心模様を中心に描いているが、小説は周辺の人々や状況から、二人の関係をほのめかすミステリー仕立てになっている。つまり、主役の二人の心情はまったくみえないまま、ストーリーが進んでいるのだ。

 まだすべて読んでいないので、はっきりとはいえないが、このドラマは、客観的に描かれた小説を主観的に描きなおす試みのように思える。つまりは、小説を読み終えた一読者の「いったい、このふたりはなにを考えていたんだろう」「どのように会い、どのような会話をしていたのだろう」といった、想像的主観の上に構成してみたドラマじゃないかと思うのだ(って、まだドラマは第二話、原作は第四章でなにをいうという感じだが)。

 で、昨日の第二話。見知らぬ他人として生きていこうとしたふたりが七年目に再会するのだが……残念ながら、「え? もう再会しちゃうの?」としらけてしまった。七年たっているわけだから、「ようやく会えた!」という状況なのに、その感情の流れがうまく伝わってこなかったのだ。図書館でひたすら彼女を待つシーンとか、急行の窓からたたずむ彼を見送るシーンとか……感情の流れを描くシチュエーションはちりばめられていたのに、どうして伝わってこなかったのだろう(演技の問題ではないと思う)。たぶん、主役をふたりにしてしまったから! ではないだろうか。主役ふたりの視点(エピソード)を交互に描くことで、観ている側は、どっちつかずになってしまう。せっかく「主観」で描こうとしているのに、ふたりの視点で追うと、個人的な感情移入が中途半端になり、けっきょく、客観視してしまうことになる。演出的には、亮司(男の子)の回想になっているのだから、彼の視点だけで描いていけば、再会のシーンも、ずっと感慨深いものになった気がする。

 もうひとつ、しらけの原因があるとすれば、昨日の日記に書いた『CM化するニッポン』である。こんな本を読んだために、「見えないCM」のことを考えてしまい、ドラマに集中できなかったのだ(なんてこった)。原作にパソコンゲームの話がでてくるのだが、時代的に「アセンブラ~」とか「ベーシック~」とかそんな言語でプログラムされたソフトである。ドラマは原作よりも時代が新しいため、「あのソフトの話はいつ出るかなぁ~。たぶん、Windows用PCソフトになるんだろうなぁ~。提供にWindowsXP(マイクロソフト)とかあったしなぁ。でもXPは最近だから、せいぜい2000で動かさないとなぁ……」なんて考えてしまったり、原作に車名が出てくると「カリーナって、スズキ(提供社)じゃなかったよなぁ」とか……ああ、ホントになんでこんな余計なことを考えているんだ! である。

 で、ついでに関係ないことまで思い出した。小説には、商品名がけっこう頻繁にでてきたりする。「白い自家用車」なんて書くより「白いセダン」とか書いたほうがかっこいいし、わかりやすいから(ブランド名を書くことで、持ち主の人物像まで描けるので手っ取り早い)? ……だろうか。いや、もしかしたら、これも、見えない広告として成り立っていたとしたら……。

 ある番組で、夏目漱石と万年筆の話を取り上げていた。その中で、丸善の内田魯庵が、夏目漱石に「万年筆の話を書いてくれ」と自社取り扱いの万年筆(オノトだったかなぁ)をプレゼントしたという逸話があった。夏目漱石は、要望どおり、その万年筆を小説に登場させた。そして、日本ではこのブランドが流行した……という話である。これって、見えない広告の元祖だよなぁ……と。うわぁ、もうどうでもいいです。CMの話よ、頭の中から消えてくれ。

 ということで次週はドラマに集中できますように。

投稿者 かめちゃん : January 20, 2006 12:28 PM

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