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2006年02月16日

ウサギ事件とデスノート

2006-02-16.gif このところ、テレビも観なけりゃネットニュースも観ない日が続いていたのだが、最低限の情報確保手段として、パソコンの画面下にRSSティッカーを置いている。数件のRSSニュースサイトを登録してあり、そのニュースのヘッドラインだけをダラダラと流してくれるのだ。

 そのヘッドラインに「ウサギをサッカーボール代わりに虐待 容疑の3少年逮捕」という文字が流れた。「げっ! 許せん!」と思いつつ流していたら、別のサイトのヘッドラインでも「少年3人、ウサギ蹴り殺す」「小学校で……」という同じニュースが流れた。これだけの情報から察するに、小学校で飼われていたウサギを子どもがサッカーボールにして蹴り殺してしまった……のだと思った。 許しがたい事件ではあるけれど、子どもというのは本来、残酷なものだ。昔の子どもも(いまもか?)虫やカエルを残酷に殺して遊んでいた。「命を慈しむ」という感情は、成長の中で育っていくものなのだろう……と思っていた。
 動物愛護法違反なのだろうが、なにも逮捕まで……と思いつつ、そのニュースの詳細を見たら、なんと少年とは小学生ではなく、18歳! 小学校に侵入してウサギをひっぱりだし、公園に連れて行き殺害したらしい。これはひどい! 18歳にもなって、善悪の区別もつかんのか。いや善悪というより「命を慈しむ」という感覚がわからないのだろう。

 数日前(もっと前か)、『デスノート』という漫画を読んだ話を書いた。実はこの漫画のことが、ずっとひっかかったままなのだ。続きが気になる……ということではなく(それもあるけど)、命をゲームの駒にして展開していくストーリーに、今回のような「子どもの残酷さ」を感じるのだ。
 子どもの残酷さは、命をおもちゃと同じように扱うことにある。ウサギをサッカーボールにした少年たちは、ウサギを自ら動くボールぐらいにしか思っていなかったのだろう。死=壊れたら捨てればいい。18歳でも、子どもの残酷さが残ったままだ。

 この漫画は小学生から社会人までと幅広い人気があるようだ。とにかくやたらと人が死ぬ。この漫画で扱われる死は、「舞台からの退場」という意味以上のものはない。負けたらいなくなる。でも、代わりの新しいキャラが出てくるのでゲームは続いていく。壊れたおもちゃの替わりはたくさんあるのだ。
 が、退場したキャラに思いいれのある人は、そのキャラの復活(死んでいなかった)を願っていたりする。ゲームや漫画では、死者が復活してもおかしくはない。このフィクションの世界では、死は取り返しのつかないものとは扱われていないのだ(あるいは、それを期待させる素地がある)。

 しょせん、漫画は漫画、現実は違う。漫画家(あるいは作家)は読者にそう理解して読んでもらえることを前提に書いている。とうぜん、区別がつくのがあたりまえだが、果たしてほんとうについているのだろうか。
 昔、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問題を考えることが流行った。この少年たちは「なぜウサギを殺してはいけないのか」と問うかも知れない。そして、その答えはきっと「子どもたちがかわいがっていたものを奪ったから」というのが一番説得力があるのだろう。まだ、人の感情ならわかりやすいと思えるからだ。「ウサギの命の尊さ」を延々訴えても、たぶん弱い。虫や小動物の命をおもちゃとしか思えない感覚は、そう簡単に変わらない。

 この漫画が怖いと思ったのは、その部分にある。この漫画では、犯罪者の命はおもちゃのように扱ってもかまわないという感覚を肯定している(とりあえず、これまでの展開では)。罪のないウサギを殺害するのは許せないが、畑を荒らすシカならOKというような感じだ。正義派側(?)のキャラも、マフィアのような犯罪者なら、殺されても仕方がないというようなセリフを口にする。「なぜ、犯罪者の命であっても奪ってはいけないのか」。この漫画では、その倫理的な問いは蚊帳の外だ。犯罪者の命はおもちゃにしてもいい。とにかく、そういう感覚で進んでいる。

 この漫画の世界では「どんな小さな犯罪でも裁かれる=犯罪者は殺される。その恐怖から、世界の犯罪は減った(戦争までも)」という答えを出している。つまり、発見したシカを次々に殺すことで、シカは怯え、畑を荒らさなくなった、というような世界観を物語の中で示しているのだ。一見、正しいように思えるが、現実はどうだろう。あるいは、増えすぎたシカを駆除すればそれで解決するだろうか。たとえ一時的に解決しても、根本的な問題を解決しなければ、同じことが繰り返される。現実ではわかっていることだ。
 人間の社会は生態系と同じく非常に複雑にできている。その複雑さを、漫画は描いていない(少なくとも、これまでは)。犯罪者に死の恐怖を与えれば、犯罪は減る……現実はそんな単純ではない。

「なにをまじめに、しょせん、漫画だよ」と思えればいいのだが、掲示板などの書き込みを見ると「犯罪者はみんな殺していい」「裁判なんて税金の無駄」「犯罪者を殺せば、平和になる」ということを、心底信じているものを多く見かける。もしかして、世の中、みんなそう思っているのだろうか? それがいまの常識? だからこのような漫画がウケる? と疑いたくもなる。
 
 子どもの残酷性が、大人になるにつれて抑えられるようになるのと同じく、単純な正義感(と呼んでいいのかわからないが)が、大人になるにつれて多面的に捉えられるようになれば問題はないと思う。たぶん、「漫画は青少年の育成に大きな影響を与えない」と思ってはいる。それは、現実のコミュニケーションの中で「漫画は漫画」と理解できるだけの経験を積めるからだ。だけど、子どもの残酷性を抱えたまま18歳になった少年の今回の事件を考えると、こいつらは、いったいどういう社会の洗礼をうけてきたのか? と考え込んでしまう。

 ペンは剣よりも強し……。漫画はいわばペンである。まさか、この漫画の世界観を信じて大人になる子どもはいないよな……と思いつつも、ペンの力はあなどれない。大人向けならまだしも、小学生が読む漫画。そのヘンを作者(出版社)はちゃんと考えているのだろうか。まさかこの世界観が、作者(出版社)側の主張なのだろうか。……ま、これからの展開を見守るしかないですがね。

投稿者 かめちゃん : February 16, 2006 02:07 PM

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