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カメちゃんのお出かけ帳

チームマイナス6パーセント

かめちゃんのBlog

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2006年02月27日

65億人

2006-02-27.gif 世界人口時計によれば、世界の人口は65億人に達したそうな。当然、正確に測れるわけもなく、あくまで推測値に過ぎないが、人口推移の目処にはなるのだろう。
 日本では少子化が問題なのに、世界の人口は増え続けている。毎秒4.1人が誕生し、1.8人が死亡しているという計算。アメリカの国勢調査局の予想では、2012年に70億人に到達するそうな。が、人口統計学のジョエル・コーエン教授によれば、地球上では約50億人しか暮らせない(世界中の人に毎日3500カロリーを与える仮定で)。(以上『HotWired』より)。

 先日『ナショナルジオグラフィックスチャンネル』の特集番組「殺人ウイルス・ウィーク」(全6話のうち5話=5時間)をぶっ続けで観た。「インフルエンザ」「新型結核」「マラリア」「バクテリア」「進化するウイルスとの格闘」……最後の2本は、共存・有効利用の話も含まれ希望が見えたが、ほかは、ひたすら怖かった。この地球上で最強の生物はウイルスなのだろうと実感する。
 もし、耐性のないウイルスによるパンデミックが起きれば、1億人の犠牲者はゆうに出る。数字だけ見れば日本人全滅。加えて、温暖化によるのかよらぬのかはわからないが自然災害が増え、文明・民族の衝突も激化し第三次世界大戦が勃発すれば、人口は激減するだろう。が、それでも、70億人もの人類が絶滅することはなかろう。って、誰もそんなこと望んじゃいまい。どちらかといえば、70億人もの人が、生命の危険を感じることなく安全に暮らせるユートピアを夢見るだろう。が、そんな世界、どうやってつくるん?
 殺人ウイルスを無力化し、バイオテクで食糧難を脱し、新エネルギー開発で温暖化ストップ……なんて未来は、果たしてくるのだろうか。せめて、そういうSF読みたいんだけど、ないかな?

投稿者 かめちゃん : 11:09 AM | コメント (0)

2006年02月22日

軽率ですよな

2006-02-21.gif 民主党が提出したあの「堀江メール」……誰がフツーに考えてもガセ! ってわかる。だいたいヘッダ情報(詳細)は? あれだけじゃ、なんの証拠にもならないってことぐらい、素人でもわかるだろうに。本文だって怪しすぎ。せめてほかの業務メールも手に入れて、書き癖の照合ぐらいするでしょう。解せないのは、なぜ、あんなものを信用したか……である。これは、軽率と非難されてもしかたあるまい。こんなメールに踊らされるようでは、とても国政を任せられる党ではないな、と思う人も少なくないに違いない。まったく、なにを考えているんだか……。国会は法律をつくるところ。探偵ごっこも互いの粗探し合戦も、いい加減、やめて欲しい。

 ニュースのヘッドラインを見ていると(ニュースはそれしか見てない)、この「堀江メール」関連が多いのだ。こんなものを重要視するマスコミにもいささか呆れるが……で、ほかのヘッドラインニュースで気になったのが、エジプト、欧州、インドなどなどで相次ぐ鳥インフルエンザ感染情報である。けっこう、これって不気味じゃないか?

 現在、「H5N1型、H9N2型、H6N1型が、現時点でパンデミック(汎流行)を引き起こす危険性が最も高い3種」(『日本臨床内科医会 インフルエンザ研究班』国立感染症研究所ウイルス第3部長 田代眞人氏)だそうで、とくにH5N1型が一番危険。このヒトワクチンができるまでの道のりは、安全性の確認→大量生産に適した株かどうかの確認→ヒトでの有効性の確認→ヒトでの安全性の確認と、着手から供給までは半年かかる……んだそうな。現在、世界の4箇所でワクチン開発を行っているそうだが、日本はどうなっているんだろう。たった4箇所。いざというとき、足りるわけがない。おまけに遺伝子操作によるワクチン開発は特許が絡む。開発するのにいちいち特許を持つメーカーへパテント料を支払わねばならないとは。世界規模で流行する恐れのある感染症の対策がそんなことでいいのだろうか。

 国会は、いざパンデミックが起きたら大騒ぎするのだろうが、大切なのは予防と事前対策。「堀江メール」なんてどうでもいい。国会中継も党首討論もおもしろくなくていいから、もっと大事なことを話しあってくれ。

投稿者 かめちゃん : 12:16 PM | コメント (0)

2006年02月19日

TV鑑賞『サイエンスミステリー』

2006-02-19.gif  昨晩はめずらしく観たいテレビが重なった。Nスペ『気候大異変』とフジTV『サイエンスミステリー』。結局Nスペを録画して、『サイエンスミステリー』を観た。
 この番組はシリーズもので、今回は第4弾。遺伝子が原因とされる肉体的or精神的に特異な症状を持つ人々をレポートする番組だ。なかでも、遺伝性早老症の少女のレポートは、シリーズを通して追跡しているものである。現在、彼女は14歳だが、肉体年齢は100歳にもなるそうだ。早老症とは、一般の何倍もの速さで老化が進んでしまう遺伝病。彼女はなかでも、世界に30人程度という非常に稀なプロジェリア症候群のひとりだ。

 早老症については、この番組で初めて知った。ほかにもハッチンソン・ギルフォード症侯群、コケイン症候群、ウェルナー症候群などがあり、どれも非常に稀な疾患である。とはいえ、成人発症型(10~40歳に発症)のウェルナー症候群は、日本人に多い(4分の3が日本人)もので、非常に稀とはいえ、日本人に潜む遺伝子(?)ということになる(『生命はどのようにして死を獲得したか』共立出版参照)。

「老」と「死」は、誰もが関心を持つテーマだ。掲示板などを覗くと、この番組のほかのレポートに比べ、彼女のレポートへの反響は大きい。加えて、彼女の聡明さが心を打つのだろう。命の期限を宣告されれば、誰もが「なぜ自分だけが」と恨みつらみを他人にぶつけずにはいられない。そして一秒でも長く生きようと懸命に治療法を探すに違いない。
 が、彼女は自らの運命を受け入れている。そして「人生は不満を言うほど悪いものじゃない」と同じ症状を抱える人々にメッセージを送っている。そのメッセージは日本の中、高生の心にも届いたようで、番組の掲示板やブログには、彼女と同世代の書き込みが多い。励まされたとの感謝の気持ち、尊敬の念、そして反省の気持ちなどだ。

 もし、彼女と同じ言葉を一般の日本の子どもが言ったら、きっと大人たちは「おまえが人生を語るのは早い。世の中はそんなにいいことばかりじゃないぞ」とたしなめるだろう。もし、100歳を迎える老人が言ったら「あなたは幸せな人生を送ってきたんですね」とうらやむかも知れない。これは、14歳にして老を迎えた彼女の言葉だから重いのだ。彼女は10歳にもならないうちに、自分の老と死について考えなければならなかった。どんなに恐ろしかったことだろう。そして、不満を言うより、不満を言わない生き方をしようと決めた。それは、(レポートを見る限り)特別なことをしようとしているわけじゃない。ほかの子どもたちと同じように、やりたいことには挑戦し、体調が悪ければ無理をしない(=あきらめる)。他人が困っていたら助けるし、困ったら助けてもらう。なんてことない、彼女は家族と友人たちと、ごく普通に過ごしている。そんな平凡な生活の中で「人生は悪くない」と言っているのだ。

 小学生の頃、先生の話だったか、図書室で読んだ本だったかに、ある病院の看護婦さんの話があった。不治の病の女の子が、苦しい治療をうけながらも、英語の勉強を一生懸命にしている姿に心を打たれたというのである。彼女は、身につけようとしている英語を、実際に活かすことができないことを知っている。無意味のように思える彼女の努力に、改めて「生きる意味」を考えさせられたというような内容だった。とても短い話だったが、いまでもときどき思い出す。一緒に「生きる意味」を考えさせられたから……ではない。同じ年齢の子が、母親よりも年上の看護婦さんに「生きる意味」を考えさせた……これは「すごい!」と思ったからだ。
 
 どんな過酷な運命であっても、その運命を素直に受け入れ普通に過ごす。この態度は、子どもであれ大人であれ、有名人であれ、無名人であれ、誰であっても感動させるものなのだ。つまり、与えられた運命を素直に受け入れることがいかに難しいことで、受け入れた後に普通に過ごすことが、どんなに大変かということである。
 この頃、非凡的な生き方(アウトロ~)にあこがれていたことを察したのか、ウチの両親はよく、父「平凡に生きることが一番むずかしいことだ」母「平凡が一番いいのよ」と私に言い聞かせるように言っていた(姉にはそんなこと言ってなかった気がする)。この話は、その意味を少しだけわからせてくれた。

 人間を初め、すべての真核生物は、老からも死からも免れない。これは種が生き残るために獲得した知恵のようだ。事故にもあわず、病気にもならずに生き永らえても、最終的には、自らの遺伝的プログラムで殺される。もう少し長生きさせろよ、と思っても、容赦ない。人はその逃れられない運命を頭では受け入れながらも、たいてい、「死にたくはない」と、じたばたしながら生きている。

 もし、不治の病に倒れたら、その運命を素直に受け入れられるだろうか。1分、1秒でも長くいきたいと、じたばたするだろうか。痛くて苦しかったらたぶん、じたばたはする。長く生きたいというより、とにかく、なんとかしてくれ! ……だろうけど。
 そう思う反面、不老不死は本当に不可能なのだろうか? という興味はある。現代の科学者(とくに工学者かな?)は、この過酷な運命をなんとか変えられないものかと、真剣に考えているように思う。もし、老化のシステムが解明され(テロメアが擦り切れるせい?)、遺伝子の改変が可能になり(倫理的に問題あるだろうが)、老化しない身体がつくれたら、そのとき、人はどう変わるのだろう。
 まず考えられるのは、生殖本能がなくなる。よって性別もなくなり、恋愛なんてナンセンス……なんか、それだけで、つまらない世の中だなぁ……。

投稿者 かめちゃん : 09:37 PM | コメント (0)

2006年02月16日

ウサギ事件とデスノート

2006-02-16.gif このところ、テレビも観なけりゃネットニュースも観ない日が続いていたのだが、最低限の情報確保手段として、パソコンの画面下にRSSティッカーを置いている。数件のRSSニュースサイトを登録してあり、そのニュースのヘッドラインだけをダラダラと流してくれるのだ。

 そのヘッドラインに「ウサギをサッカーボール代わりに虐待 容疑の3少年逮捕」という文字が流れた。「げっ! 許せん!」と思いつつ流していたら、別のサイトのヘッドラインでも「少年3人、ウサギ蹴り殺す」「小学校で……」という同じニュースが流れた。これだけの情報から察するに、小学校で飼われていたウサギを子どもがサッカーボールにして蹴り殺してしまった……のだと思った。 許しがたい事件ではあるけれど、子どもというのは本来、残酷なものだ。昔の子どもも(いまもか?)虫やカエルを残酷に殺して遊んでいた。「命を慈しむ」という感情は、成長の中で育っていくものなのだろう……と思っていた。
 動物愛護法違反なのだろうが、なにも逮捕まで……と思いつつ、そのニュースの詳細を見たら、なんと少年とは小学生ではなく、18歳! 小学校に侵入してウサギをひっぱりだし、公園に連れて行き殺害したらしい。これはひどい! 18歳にもなって、善悪の区別もつかんのか。いや善悪というより「命を慈しむ」という感覚がわからないのだろう。

 数日前(もっと前か)、『デスノート』という漫画を読んだ話を書いた。実はこの漫画のことが、ずっとひっかかったままなのだ。続きが気になる……ということではなく(それもあるけど)、命をゲームの駒にして展開していくストーリーに、今回のような「子どもの残酷さ」を感じるのだ。
 子どもの残酷さは、命をおもちゃと同じように扱うことにある。ウサギをサッカーボールにした少年たちは、ウサギを自ら動くボールぐらいにしか思っていなかったのだろう。死=壊れたら捨てればいい。18歳でも、子どもの残酷さが残ったままだ。

 この漫画は小学生から社会人までと幅広い人気があるようだ。とにかくやたらと人が死ぬ。この漫画で扱われる死は、「舞台からの退場」という意味以上のものはない。負けたらいなくなる。でも、代わりの新しいキャラが出てくるのでゲームは続いていく。壊れたおもちゃの替わりはたくさんあるのだ。
 が、退場したキャラに思いいれのある人は、そのキャラの復活(死んでいなかった)を願っていたりする。ゲームや漫画では、死者が復活してもおかしくはない。このフィクションの世界では、死は取り返しのつかないものとは扱われていないのだ(あるいは、それを期待させる素地がある)。

 しょせん、漫画は漫画、現実は違う。漫画家(あるいは作家)は読者にそう理解して読んでもらえることを前提に書いている。とうぜん、区別がつくのがあたりまえだが、果たしてほんとうについているのだろうか。
 昔、「なぜ人を殺してはいけないのか」という問題を考えることが流行った。この少年たちは「なぜウサギを殺してはいけないのか」と問うかも知れない。そして、その答えはきっと「子どもたちがかわいがっていたものを奪ったから」というのが一番説得力があるのだろう。まだ、人の感情ならわかりやすいと思えるからだ。「ウサギの命の尊さ」を延々訴えても、たぶん弱い。虫や小動物の命をおもちゃとしか思えない感覚は、そう簡単に変わらない。

 この漫画が怖いと思ったのは、その部分にある。この漫画では、犯罪者の命はおもちゃのように扱ってもかまわないという感覚を肯定している(とりあえず、これまでの展開では)。罪のないウサギを殺害するのは許せないが、畑を荒らすシカならOKというような感じだ。正義派側(?)のキャラも、マフィアのような犯罪者なら、殺されても仕方がないというようなセリフを口にする。「なぜ、犯罪者の命であっても奪ってはいけないのか」。この漫画では、その倫理的な問いは蚊帳の外だ。犯罪者の命はおもちゃにしてもいい。とにかく、そういう感覚で進んでいる。

 この漫画の世界では「どんな小さな犯罪でも裁かれる=犯罪者は殺される。その恐怖から、世界の犯罪は減った(戦争までも)」という答えを出している。つまり、発見したシカを次々に殺すことで、シカは怯え、畑を荒らさなくなった、というような世界観を物語の中で示しているのだ。一見、正しいように思えるが、現実はどうだろう。あるいは、増えすぎたシカを駆除すればそれで解決するだろうか。たとえ一時的に解決しても、根本的な問題を解決しなければ、同じことが繰り返される。現実ではわかっていることだ。
 人間の社会は生態系と同じく非常に複雑にできている。その複雑さを、漫画は描いていない(少なくとも、これまでは)。犯罪者に死の恐怖を与えれば、犯罪は減る……現実はそんな単純ではない。

「なにをまじめに、しょせん、漫画だよ」と思えればいいのだが、掲示板などの書き込みを見ると「犯罪者はみんな殺していい」「裁判なんて税金の無駄」「犯罪者を殺せば、平和になる」ということを、心底信じているものを多く見かける。もしかして、世の中、みんなそう思っているのだろうか? それがいまの常識? だからこのような漫画がウケる? と疑いたくもなる。
 
 子どもの残酷性が、大人になるにつれて抑えられるようになるのと同じく、単純な正義感(と呼んでいいのかわからないが)が、大人になるにつれて多面的に捉えられるようになれば問題はないと思う。たぶん、「漫画は青少年の育成に大きな影響を与えない」と思ってはいる。それは、現実のコミュニケーションの中で「漫画は漫画」と理解できるだけの経験を積めるからだ。だけど、子どもの残酷性を抱えたまま18歳になった少年の今回の事件を考えると、こいつらは、いったいどういう社会の洗礼をうけてきたのか? と考え込んでしまう。

 ペンは剣よりも強し……。漫画はいわばペンである。まさか、この漫画の世界観を信じて大人になる子どもはいないよな……と思いつつも、ペンの力はあなどれない。大人向けならまだしも、小学生が読む漫画。そのヘンを作者(出版社)はちゃんと考えているのだろうか。まさかこの世界観が、作者(出版社)側の主張なのだろうか。……ま、これからの展開を見守るしかないですがね。

投稿者 かめちゃん : 02:07 PM | コメント (0)

2006年02月12日

しばらくは……

2006-02-12.gif このところ、日記が不定期になりがち……今日も、お休みです。3月まではポツポツ……になりそう。はぁ……ま、オリンピック中はおもしろいネタなさそうだし……というか、どこもかしこもオリンピック中継に変更ってのは、どうなんでしょう。BSドキュメンタリーはなしですか? 世界のニュースも……なんだかなぁ。

投稿者 かめちゃん : 11:57 AM | コメント (0)