かめちゃんのBlog
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2006年05月05日
GWなのに
世の中はGW。が! ウチにはモルモットが4匹もいるため(しかもそのうち1匹は病気)、外泊はできない。ってことで、前にも書いたように、GWは家の掃除! なのだがこれも一向に進まず。なにやってんだろ……って、本と漫画を読んでいる(嗚呼、いつもと変わらぬ風景)。
図書館から優生学に関する本を数冊、借りてきている。なんで今頃……と思うかも知れないが、これまた『デスノート』関連の掲示板で、「この世の中には、確かに死んだほうがいいヤツはいる」という発言が目立っていたからだ。そもそも「社会的に害のある者」とか「社会的に不要な者」という発言が平然となされる根底には、優生学的思考が人々の中に根強くあるからだろうと思うのだ。そうでなくとも「勝ち組、負け組」「下流社会」などといった社会的な差別意識の広がりにも、優生学的な匂いを感じている。また、今後の遺伝子学の発達が「ダーヴィン進化論」のような働きをする(優生思想の裏づけに利用される)のではないか? とも思われる。ってことで、気になったので借りてきたのだ。が、まだ読んでいる途中なので、その話は後日。
ちなみに『デスノート』の新刊(11巻)も読んだ。とにかくこの話は人が山のように死ぬ。が、この巻は、その描写が一番、少ないかも知れない。とはいえ、ノートにはおびただしい人の名前が書かれているので(ノートに名前を書かれると死ぬ設定です)、死の描写がないだけで、ストーリーの裏側では、もの凄い数の殺人が行われているのである。それを想像せずに、平然と読んでいる……というのが実は怖い。
その感覚は、まるで阪神淡路大震災や、9.11、あるいは尼崎の電車事故の映像を見ているときに感じた異様な感覚と同じである。燃え上がる街、崩れ去るツィンタワー、破壊された車両の様子を、お茶の間で平然と見てしまう。中でどんなことが起きているのか、想像できないのだ。まるで映画を見ているような……という非現実感。たとえ現実であっても、当事者以外には、漫画や映画と同じ非現実でしかない……というのが現実である。非現実のような現実に、生きた現実感を伴わせるためには、知識と想像力が不可欠になる。
『デスノート』は漫画なので、もともと非現実感を味わうためのものではあるけれど、妙に現実と近い設定になっているため、現実に照らし合わせた(善悪論などの)論争が起きてしまう。議論するのはいいことなんだけど(読んでいると面白い)、「現実」と「非現実」の違いがわかっていない人が少なからずいるのも確か。現実のような非現実を、非現実だとわきまえるためにも、知識と想像力が不可欠となる。
ともあれ、今の世の中、現実は非現実に感じられ、非現実的なことは現実と捉えてしまうことがある。ちなみにいま流行りの『ダ・ヴィンチ・コード』に書かれていることって、真実なわけ?(ってね)。
あ、流行っていえば、ベストセラーの上位にいるラノベ『涼宮ハルヒ』シリーズって、あれなに? と好奇心で1冊買ってみちゃったけど……つまらないので、途中で投げた。
投稿者 かめちゃん : May 5, 2006 03:52 PM
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