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2006年05月17日

『デスノート』と『不思議な少年』

2006-05-17.gif マーク・トゥエインの晩年の作品に『不思議な少年』というのがある(といっても、彼の没後、編集者が三本の遺稿をもとに手を加えてまとめたものらしいが)。この物語、彼の代表作『トムソーヤの冒険』のノリを期待して読んだら、奈落の底に突き落とされる。ピュアで多感な子どもが読んだら、人生を達観するかひねくれるか、あるいは途中で気分を害して放り投げる……だろう。なにしろ、痛烈な人間批判に満ちており、その根底には、ニーチェの影響? と思われる虚無主義的な思想とアンチクリスト精神が横たわっているのだ。もちろん、子供向けの物語なのだが。
 
 2月頃からハマっていた漫画『デスノート』(週刊少年ジャンプ掲載)がようやく最終回を迎えた。やれやれ、これでもう『ジャンプ』を買うこともあるまい。なんで本誌に手を出すまでハマってしまったかなぁ……と、自分でも不思議に思っていたのだが、その理由がラストの3、4話にきてようやくわかった気がした。これ、同じ匂いがするのだ――『不思議な少年』と。

『不思議な少年』は、美しい少年の姿をしたサタンという名の天使(実体は、なんでもできちゃう全知全能の予定説に立つ神そのもの)が、人間の善悪の概念をこてんぱんに破壊したあげくに「本当はね、天国も地獄もないんだよ」と言って去っていく物語である(簡単すぎだが)。
 この「天国も地獄もない」というセリフ、『デスノート』の死神リュークも同じようにのたまっている。リュークはサタンくんとはぜんぜんキャラも役割も違うけれど、立場は同じ神の位置。なるほどね……。『デスノート』の作者に会ったら(会うわけないが)「ニーチェ好きでしょ?」と聞いてみたい。

『不思議な少年』の徹底した人間批判は、サタンくんの言葉によって展開される。その中心にある思想は、人間の良心(道徳的に正邪・善悪を判断する意識)が、愚かな争い(戦争)や偏見、差別を生む源ということである。が、『デスノート』では、説教じみた発言はほとんど出てこない(それこそラストの数話でちょろっと)。とはいえ、やはりこの物語も、人間の良心を攻撃している……と読めるのだ。

 絶対主義の月くんvs相対主義のニア。作者はどちらにも誘導しない。読者は「どちらが正義なのか?」を自分の良心によって判断して読み進めることになる。そして、リュークの初期のセリフ――デスノートを使った人間は、天国にも地獄にもいけない――から、「デスノートを使った人間は地獄よりもひどい世界に行くのだろう」などと、読者はこれまた自分の良心に従って予想を立てることになる。

 それなのに……である。
 物語のラストで「天国も地獄もない。生前に何をしようと、死は平等。行き着く先は無である」と、突然、読者を「虚無主義(良心否定)の世界へようこそ~」と、突き落とすのだ。さらに、最終話では、追い討ちをかけるように「良心とは願望によって捻じ曲げられるもの」であり「宗教なんて虚しいもの」であることを、ずっと白だった(殺人には手を染めていない)ニアを黒にして(推定無罪だが)、悪として滅んだ月を心優しき弱者たち(女性や母親の姿で描かれている)の救世主として描くことで、読者の良心を混乱させてしまう(ちなみに『不思議な少年』のサタンくんも、天国や地獄があるような思わせぶりをしておきながら、最後に「そんなものないよ」と突き落としている)。

 ってことで、「やばいなぁ、ピュアで多感な子どもが読んだら、人生を達観するかひねくれるかするんじゃないか?」と思ったのだが、そんなことはないようだ。『デスノート』は、ストーリー展開がスリリングなのでそちらに引っ張られるし、深読みするには情報が不十分だ。
 ブログで感想を拾い読みしてみると、議論になっているのは「どちらが正義か?」という良心の範疇でのことだったり、伏線の「謎解き」の部分だったりである(それはそれでおもしろいが)。
 それにしても、意見も感想も賛否両論、てんでんばらばら……ここまで真っ二つに分かれる作品はそうそうあるまい。

 ただ懸念されるのは、(前にも書いたが)フィクションの設定(犯罪者を極刑にしていけば、犯罪も戦争もなくなるという幻想など)を現実に当てはめている人がまあ、多いこと。それこそ願望だと気づいてよ~……である。また、ラストのシーンは明らかに「宗教への皮肉だな」と読めるのだが、そうではなく「月も救世主になれて救われた=やはり彼のやったこと(悪人なら殺してもかまわない)は悪とはいいきれない」と解釈している人がこれまた多いこと。少しはひねくれて読んでよ~と、逆に心配してしまう。

 ある優生学を扱った本に「人間を高みに上げようとするならば(よりよい世界にするためならば)、悪に徹しなければならない」という言葉があった。要するに「よりよい世界にするためには、優秀な者ばかりの世界を創ればいい」→「優秀な者だけを残すためには、劣悪な者の排除はやむを得ない」→「これは悪だが、よりよい世界のためには必要だ」という考えだ。
 月のやったことはこれと同じ「悪」である。「悪じゃない」というのは問題外。ただ、必要悪かどうかが問題であり、もし、必要悪とするならば、行き着く先は(歴史に習えば)ファシズムである。

『不思議な少年』のサタンくんは、良心の下での殺戮を見ながら「何年たっても人間のやっていることは同じ」とせせら笑う。『デスノート』のリュークは、同じく良心の下での殺戮を見ながら「人間って面白」とおもしろがっている。
 ちなみに『不思議な少年』は、世界がファシズムに翻弄される前に書かれたものだ。

(山下和美氏が同タイトル『不思議な少年』の漫画を出している。マーク・トゥエインのサタンくんをモデルにした少年が出てくるけれど、こちらはまだ人間味がある)。

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投稿者 かめちゃん : May 17, 2006 12:54 PM

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