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2006年05月18日

映画鑑賞『パッション(2004)』

2006-05-18.gif 子どもの頃、なんの映画かは忘れてしまったが、イエスが十字架に架けられるときの手足釘打ちシーンをまともに見てしまいトラウマになった。あれは痛い。痛いってもんじゃない。あれ以上の拷問は絶対ない。
 そんなととは露知らず(?)、culiが『パッション(2004)』を借りてきた。この映画、イエス最後の12時間……文字通りの「キリストの受難」を描いた作品で、ローマ教皇お墨付き、ユダヤ人猛反発、信者がショック死したという欧米ではずいぶん騒がれた作品である。

「いやだ~、釘打ちはいやだ~」と思いつつ、観た(釘打ちシーンだけはパスしたが)。まあ、とにかく残酷なこと。釘打ちだけじゃなく、その前の鞭(カギがついてるぅ~!)打ちも酷い。それにしても、群集っていうのは怖い。狂気にかられたローマ兵も怖い。人間、ここまで醜く残酷になれるものなのか……ってなれるんだよな、歴史をみれば。
 ってことで、イエスはそんな残酷さも含めた人間の罪をひとりで背負って、恐ろしい拷問にかけられ処刑されたというわけだが、それなのになぜ、イエスの死後も延々、人間の残酷な行為はやまないの? とキリスト教徒ではないので、その辺の解釈がさっぱりわからない。

 まあ、死後のことはおいといて、この映画、キリストの受難=映画を見ている人々の受難である。ともかく、イエスが痛みにもだえ苦しみながら死んでいく姿は「やめてくれ~」と映写機を止めたくなるほど酷いのだ。それを最後まで見守る二人のマリアの苦痛を感じ取るのも辛い。
 が、イエスの教えを守るなら、執拗までに暴行を加えるローマ兵にも、罵声をあびせ、あざ笑うユダヤの群集にも、愛をもって報いなければならない。敵や迫害する者には、より深い愛を与えなければならないのだから、彼らに憎しみや復讐心を募らせるなんて、もってのほかである。
 ……のはずなのに、どうしてキリスト教徒は敵を憎んで戦争をいまでもしかけるんでしょうか? とキリスト教徒ではないので、その辺の解釈もさっぱりわからない。
 まあ、あんな目にあっても、迫害する者のために祈るイエスは偉大……といえば偉大ですな。

投稿者 かめちゃん : May 18, 2006 01:03 PM

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